アーモンド
野生のアーモンドは苦く、体内で青酸に変わる成分を含んでいるので、ひと握りでも危険なことがあります。アーモンドが栽培できるようになったのは、たったひとつの遺伝子変異でその苦みが消えてからでした。2019年に学術誌サイエンスに載った研究が示しています。栽培アーモンドは紀元前3000年ごろから遺跡に現れ、人が最初に栽培化した木のひとつと考えられています。
Caltypeにある食べ物と飲み物について、いつどこで生まれたのか、わかっていれば最初に作った人、そしてどの有名な話がただの伝説なのかをまとめました。
野生のアーモンドは苦く、体内で青酸に変わる成分を含んでいるので、ひと握りでも危険なことがあります。アーモンドが栽培できるようになったのは、たったひとつの遺伝子変異でその苦みが消えてからでした。2019年に学術誌サイエンスに載った研究が示しています。栽培アーモンドは紀元前3000年ごろから遺跡に現れ、人が最初に栽培化した木のひとつと考えられています。
アーモンドミルクには何世紀もの歴史があります。8世紀のイスラムの医学書には咳の薬として載っていて、イスラム世界のアーモンドとともに中世ヨーロッパへ伝わりました。四旬節のような断食の日に動物性食品を禁じる決まりを避けられるので、キリスト教徒に好まれたのです。1350年ごろの、知られている最初のドイツの料理書では、レシピのほぼ4分の1にアーモンドミルクが使われています。
出典: Discover Magazine, People Went Crazy for Almond Milk in the Middle Ages
冷たいおやつの歴史は古く、中国では約4,000年前に凍ったシロップのようなものがあり、ペルシャの人々は雪で冷やしたシャルバットを飲んでいました。マルコ・ポーロが中国からイタリアにアイスクリームを持ち帰ったという話には異論があり、多くの歴史家は作り話だとしています。牛乳を使った氷菓は1690年代のナポリに登場します。スペイン副王の料理人だったアントニオ・ラティーニの本の中です。
出典: National Geographic, How long has everyone screamed for ice cream?
アイスティーは、1904年のセントルイス万国博覧会で発明されたとよく言われます。熱波の中、紅茶商リチャード・ブレチンデンが、氷で冷やした管を通して冷たい紅茶を出したのです。これでアメリカ中に知られるようになりましたが、新しいものではありませんでした。1879年、マリオン・キャベル・タイリーの『オールド・ヴァージニアの家事』に、甘いアイスティーのレシピがすでに載っていたのです。
出典: Georgia Public Broadcasting, Sweet Tea: History of the Nectar of the South
最初期の冷たいコーヒーのひとつが、アルジェリア生まれのマザグランです。言い伝えでは1840年、マザグランの砦で包囲されたフランス兵が、コーヒーを水で割って冷たいまま飲んでいたそうです。パリに戻るとカフェが背の高いグラスでカフェ・マザグランとして出し始めました。エスプレッソと冷たい牛乳で作るアイスラテは、ずっとあとのカフェの飲み物です。
アサイーヤシはアマゾンに生え、ブラジルのパラー州では昔から紫色の果肉を毎日の食べ物として、よく魚と一緒に食べてきました。バナナをのせた甘い冷凍のボウルはブラジルのビーチやジムで人気になり、言い伝えではリオのグレイシー柔術一家が広めるのに一役買ったそうです。2000年ごろ、サンバゾンなどの会社が果肉をハワイやカリフォルニアへ出荷し始めました。
シュトゥルーデルの薄い生地は、トルコとの戦争の時代におそらくハンガリーを経てウィーンに届きました。知られている最古のレシピは1696年のもので、ウィーン市立図書館に残る手書きの料理帳に載っています。意外なことに、それはリンゴではなく、ミルククリームとカブのシュトゥルーデルでした。アップルシュトゥルーデルが有名になるのはもっとあとのことです。
アップルパイはアメリカのものになるずっと前から、イギリスの料理でした。知られている最古のレシピは、1390年ごろにリチャード2世の料理人たちが書いた『ザ・フォーム・オブ・キュリー』にあります。リンゴにいちじく、レーズン、洋なし、サフランを合わせ、コフィンと呼ばれるパイ生地の器で焼くものです。のちに入植者がアップルパイを北米に持ち込み、そこで国の象徴になりました。
出典: Tasting History with Max Miller, Medieval Apple Pie (The Forme of Cury, c. 1390)
アペロールは1919年、イタリアのパドヴァでバルビエリ家が生み出したもので、名前は食前酒を指すフランス語の俗語aperoから来ています。スプリッツはドイツ語でひとはねという意味。20世紀の終わりごろ、ヴェネツィアの海岸のビーチバーがスプリッツにアペロールを使い、大きなワイングラスに氷を入れて出すようになると、地域全体に、そしてイタリア中に広まりました。
アボカドはメキシコと中米の生まれで、人々は約1万年前には食べていて、約5,000年前に栽培を始めました。最初の地はプエブラ州のテワカン渓谷かもしれません。名前はアステカの言葉āhuacatlから来ていて、スペイン語でaguacateになりました。ワカモレは「アボカドのソース」を意味するahuacamolliが語源です。
出典: University of Southern California, Plants and People: Avocado
パンにアボカドをのせる食べ方は、カフェ文化よりも古いものです。1891年のブリスベンの記事には、クイーンズランド総督がパンにアボカドを塗り、こしょうと塩をかけて食べたとあり、1920年にはカリフォルニアの新聞が、熱いトーストにつぶしたアボカドをのせるレシピを載せています。今のカフェの一皿は、1993年にシドニーの自分のカフェでメニューに入れた料理人ビル・グレンジャーのものとされることが多いです。
言い伝えでは、第二次世界大戦中にイタリアにいたアメリカ兵が、故郷のドリップコーヒーの味に近づけようとエスプレッソを薄めたのが始まりだそうです。すてきな話ですが、オックスフォード英語辞典はカフェ・アメリカーノを1950年代の中米のスペイン語までさかのぼらせていて、薄いコーヒーをからかう呼び名でした。英語で初めて印刷されたのは1964年のジャマイカの新聞です。イタリア人がこの言葉を使うようになったのはそのあとでした。
出典: Wikipedia, Caffè americano (citing the Oxford English Dictionary)
地中海の周りの人々は大昔からイカを食べてきました。名前はイタリア語で、calamaroの複数形です。さかのぼると中世ラテン語のcalamarium、つまりインク壺や筆入れで、さらに葦のペンを意味するcalamusに行き着きます。墨を持ち、細長くとがった体のイカにぴったりです。英語でこの言葉が食べ物としてのイカに使われたのは1826年が最初です。
いま食べている大粒のイチゴは、1700年代のフランスで生まれました。1714年、チリのスペインの要塞を偵察するために送られたフランスの士官アメデ・フランソワ・フレジエが、チリの大粒のイチゴを5株持ち帰りました。それがフランスの庭で北米のバージニアイチゴと交ざり、1766年、植物学者アントワーヌ・ニコラ・デュシェーヌがこの雑種が新しい果物だと突き止めました。
出典: University of Minnesota Fruit Research, A spy, a botanist and a strawberry
名前はラテン語のsardinaにさかのぼり、サルデーニャ島と結びつけて語られることが多いものの、はっきりしたことはわかっていません。缶詰はフランス生まれです。1820年代から、大西洋の港町ナントのジョゼフ・コランが缶に詰めたイワシの市場を広げ、缶詰工場はやがてブルターニュの海岸沿いに増え、ポルトガルやモロッコへも広がりました。
中世の朝食は、ほとんどエールとパンでした。たっぷりの温かい朝食は、ジョージ王朝時代からヴィクトリア朝時代にかけて、地方の紳士階級の邸宅で育ちました。卵、ベーコン、腎臓、ケジャリーを客にゆったりと振る舞う、見せる朝食です。新しい中産階級がそれをまね、工場の労働者もお腹にたまるものを必要としていて、1950年代にはイギリスの大人のほぼ半数が焼き物の朝食で一日を始めていました。
スコットランドでウイスキーづくりを記した最古の文書は1494年のもので、王室の財務記録に、修道士ジョン・コーへアクア・ヴィテを作るための麦芽8ボルと記されています。アクア・ヴィテはラテン語で命の水。ゲール語ではウシュク・ベーハで、これがウイスキーという言葉になりました。蒸留を持ち込んだのが修道士なのか、ハイランドの農民が自分たちで編み出したのか、確かなことは誰にもわかりません。
ロシアとポーランドの両方がウォッカは自分たちのものだと主張していて、どちらが先なのか確かなことはわかりません。ブリタニカによれば、ウォッカと呼ばれる酒は14世紀のロシアにあり、もっと古いと考える歴史家もいます。名前は水を意味するロシア語ヴァダーの指小形で、小さな水という意味です。アメリカや西ヨーロッパで広く飲まれるようになったのは第二次世界大戦のあとでした。
うどんはおそらく中国から日本に伝わりました。約1,200年前に香川出身の僧、空海が中国での修行を終えて小麦の麺を持ち帰ったという伝説が有名で、香川が今も「うどん県」なのはそのためだと言われます。江戸時代には、金刀比羅宮へのお参りの人たちが門前で讃岐うどんを食べ、その味を全国へ持ち帰りました。
エクレアは、シュー生地と19世紀フランスのパン・ア・ラ・デュシェスという菓子から生まれました。ナポレオンやアレクサンドル皇帝の料理を手がけたパリの名シェフ、アントナン・カレームが1800年代初めに完成させたと言われますが、証明するのは難しい話です。1850年ごろにはパリの人々がéclairと呼ぶようになりました。フランス語で「稲妻」の意味で、あっという間に食べてしまうからかもしれません。
1884年、アンジェロ・モリオンドがイタリアで、コーヒーを大量にいれる蒸気式の機械の特許を取りました。続いてルイジ・ベッツェラが、お湯を粉に通して約30秒で1杯分をいれる機械を作り、デジデリオ・パヴォーニとともに1906年のミラノ万国博覧会でカフェ・エスプレッソを披露します。エスプレッソはイタリア語で速い、急行という意味です。
エスプレッソマティーニを作ったのはロンドンのバーテンダー、ディック・ブラッドセルで、1983年ごろ、ソーホー・ブラッスリーでのことです。あるモデルが目の覚める一杯を頼み、コーヒーマシンがちょうど彼の持ち場のすぐ隣にあったという話があります。最初はウォッカ・エスプレッソと呼んで氷の上に注いでいて、マティーニグラスで出す形は1990年代の終わりに登場しました。
エッグベネディクトは1800年代後半のニューヨーク生まれですが、二つの説が競っています。一つは、デルモニコスのシェフ、シャルル・ランホファーが常連のルグラン・ベネディクト夫妻のために作ったという説。もう一つは、株式仲買人のレミュエル・ベネディクトが1894年、二日酔いを治そうとウォルドーフでトースト、ベーコン、ポーチドエッグ、オランデーズソースを注文したという説です。どちらが本当か、確かなことは誰にも言えません。
エッグマックマフィンは1971年の初め、カリフォルニア州サンタバーバラでマクドナルドを経営していたハーブ・ピーターソンが、エッグベネディクトを手で持って食べられる形にしようと作ったものです。市販のオランデーズソースはうまくいかず、代わりにスライスチーズとカナディアンベーコンを使い、卵は丸いリングで焼きました。名前を提案したのは役員フレッド・ターナーの妻パティ・ターナーで、1975年に全米へ広がりました。
出典: McDonald's, A brief and delicious history of the Egg McMuffin
最初期のひとつは、1962年に大正製薬が働く人のための栄養ドリンクとして日本で発売したリポビタンDで、タウリンとビタミンB群が入っていました。いまのエナジードリンクが広まったのは、オーストリアのディートリッヒ・マテシッツがタイの飲み物クラティンデーンをアレンジしてから。3年かけて準備し、1987年4月1日にオーストリアでレッドブルを発売しました。
海辺の人々は漁をするようになってからずっとエビを食べてきたので、発明者はいません。ただ名前には小さな謎があります。英語のprawnは15世紀初めにprayneとして現れますが、ほかのどの言語にも似た名前が見つかっておらず、語源は不明です。shrimpのほうが少し古く14世紀からあり、おそらく細いものを指す古い言葉から来ています。
ユカタン半島のマヤの人々は、スペイン人が来るずっと前から、トルティーヤで具を巻いてソースをかけていました。1519年、テノチティトランで征服者ベルナル・ディアス・デル・カスティーリョは、アステカの人々が唐辛子のソースにひたしたトルティーヤを食べるのを見ています。チーラピッツァリ、「唐辛子の笛」と呼ばれる料理でした。スペイン語の名前は「唐辛子で味付けする」を意味するenchilarから来ています。
えんどう豆はもっとも古い栽培作物のひとつで、中東では新石器時代後期のものが見つかっています。乾燥したえんどう豆は冬じゅう持つので、何千年もスープになってきました。紀元前405年にアテネで書かれたアリストパネスの喜劇では、英雄ヘラクレスがえんどう豆のスープに目がありません。のちに船乗りたちは乾燥えんどう豆と塩漬け豚肉で暮らし、これがえんどう豆とハムの組み合わせのもとになりました。
正確な起源ははっきりしませんが、エンパナーダはおそらく、イスラム教徒によるイベリア半島征服の後にスペインに届いた中東の包みパイから生まれました。名前は、生地やパンで包むことを意味するスペイン語のempanarから来ています。その後スペインの入植者が中南米やフィリピンに持ち込み、それぞれの国が自分たちの味を作りました。
いまのようなオーツミルクは、スウェーデンのルンド大学から生まれました。1980年代後半から1990年代初め、乳糖不耐症を研究していた食品科学者リカード・オステが、オーツ麦を牛乳に近い性質の飲み物に変える方法を見つけます。1994年に兄弟のビョルンとオートリーを設立し、オーツミルクを商業生産した最初の会社になりました。
出典: Lund University Alumni Network, How one scientist's drink came to be on the lips of many
オーツ麦は長い間、家畜のえさだと見られていました。ローマの医師ガレノスは、人が食べるのは飢饉のときだけにすべきだと言っています。1755年、サミュエル・ジョンソンの辞書はオーツ麦を「イングランドでは一般に馬に与えるが、スコットランドでは人々を養う穀物」と定義しました。小麦が育ちにくいスコットランドでは、オーツ麦のおかゆが何世紀もの間、毎日の食事でした。
出典: Science History Institute, Distillations: Fitter for a Stable Than a Table
オーバーナイトオーツのもとはビルヒャーミューズリーです。スイスの医師マクシミリアン・ビルヒャー=ベンナーが1890年代に胃の不調の治療のために考え、のちにチューリッヒの自分の診療所で出していました。オーツを水にひと晩ひたし、すりおろしたリンゴ、レモン汁、練乳、ナッツと混ぜたものです。彼はただ「あの料理」と呼び、夕方にオーツと果物と牛乳を食べるアルプスの人々からアイデアを得ました。
出典: SWI swissinfo.ch, Le Birchermüesli, l'invention d'un Suisse pour soigner les maux d'estomac
知られている最古のレシピは、イギリスの料理人ジョン・モラードのものです。1802年、パルメザン入りの衣にくぐらせて揚げた玉ねぎの輪切りについて書いています。1921年に開業したダラスのドライブインチェーン、ピッグ・スタンドがのちにオニオンリングを発明したと主張しましたが、おそらくモラードから1世紀以上たって自分たちの版を考えたというのが実際のところです。
日本の人々は約2,000年前の弥生時代から炊いたご飯を形に握っていて、その時代の炭になったご飯のかたまりが出土しています。8世紀の文献には握り飯(にぎりいい)が登場し、『源氏物語』には、出先で食べる手で握った小さなご飯、屯食(とんじき)が出てきます。呼び名は、にぎりいいから、にぎりめしへ、そして丁寧な「お」がついておにぎりになりました。
出典: Nippon.com, Onigiri: The Evolving Face of Japan's Beloved Rice Ball
名前はフランス語で、形を表しています。オムレツは薄い刃や板を意味する古フランス語alemelleから生まれ、さらにさかのぼるとラテン語のlamellaです。何世紀もかけてalemelleはalumette、ameletteと変わり、最後にomeletteになりました。英語に入ったのは1611年ごろです。
クロケットの祖先はフランスのクロケットで、1700年ごろのフランス宮廷の料理書に登場します。オランダに伝わったのはその後で、オランダ最古のレシピは1830年のものです。長いあいだ裕福な家の料理でしたが、残り物の肉をラグーに使うようになって身近になり、第二次世界大戦後にはクウェッケブームやファン・ドッベンといったスナックバーが、毎日の食べ物にしました。
オリーブが最初に栽培されたのは東地中海です。クレタ島の人々は紀元前3500年ごろに、セム系の人々は紀元前3000年ごろまでに育てていました。ホメロスの時代のギリシャではオリーブオイルを肌にすり込み、紀元前600年ごろにはローマ人にとっても大切な作物になっていました。
オリーブオイルは地中海でもっとも古い食べ物のひとつです。イスラエルの下ガリラヤにあるエイン・ツィポリで掘り出された紀元前5800年ごろの土器には、オリーブオイルの跡がまだ残っていました。中東で使われていたことを示す最古級の証拠です。イスラエル沖の海に沈んだ7,700年前の村クファル・サミールでは、オリーブオイルを作っていた跡も見つかっています。
オレオは1912年にナビスコが初めて売り出したもので、ニューヨーク・チェルシーの工場で焼かれていました。その建物はいまのチェルシー・マーケットです。最初の販売記録は1912年3月6日、ニュージャージー州ホーボーケンの食料品店でした。名前の由来は誰も確かには知りません。フランス語で金を意味するor、ギリシャ語で山を表す言葉などが推測されています。
スイートオレンジはブンタンとマンダリンが大昔に交ざってできたもので、中国南部とその周辺で最初に育てられました。1400年代から1500年代にかけてポルトガルの商人が甘いオレンジをヨーロッパに持ち込み、苦い種類を押しのけました。名前はサンスクリット語のnarangaからペルシャ語とアラビア語を経て伝わり、英語では果物の名前から色の名前がつけられました。逆ではありません。
スイートオレンジは熱帯アジアの果物です。ローマの征服とアラブの交易路によって柑橘は西の地中海へ運ばれ、コロンブスの時代にはカナリア諸島でオレンジの木が育っていて、おそらくそこからアメリカ大陸へ渡りました。1920年ごろまで、オレンジはほとんど丸ごと食べられていました。その後ジュースを飲む習慣が広まり、いまアメリカのオレンジの主な行き先は冷凍濃縮果汁です。
おなじみのガーリックブレッドは、イタリア系アメリカ人の料理です。祖先はブルスケッタ、にんにくとオリーブオイルをこすりつけたイタリアのトーストですが、1900年代初めのアメリカではオリーブオイルが手に入りにくく、移民たちはおそらくバターで代用しました。1950年代にはアメリカ中のレストランのメニューに載り、1970年代にはミシガン州マスキーゴンのコールズが冷凍で売り始めました。
カシューの木はブラジル北東部の原産です。16世紀後半、ポルトガルの宣教師たちが東アフリカとインドへ持ち込み、標高の低い海岸沿いに広がっていきました。南米のナッツがインドや東アフリカの料理にすっかりなじんでいるのは、こういうわけです。
ガスパチョは、オリーブオイル、酢、にんにく、水にパンをひたした素朴なスープとしてアンダルシアで始まり、似たスープはギリシャやローマの書き手も記しています。名前はおそらく、ひたしたパンを指す言葉から来ています。トマトがアメリカ大陸からスペインに届いたのは16世紀なので、今の赤いガスパチョは、昔のもののずっと後の形です。
やわらかいフレッシュな凝乳は昔から農家で作られてきましたが、カッテージチーズという名前が初めて記録されたのは1831年、フィラデルフィアでのこと。当地ではスメアケースとも呼ばれていました。名前はおそらく、農家の人々が自宅のコテージで作っていたことに由来します。クリームをバターにしたあとの残りの乳から作っていました。
ガドガドはジャワ西部、なかでもジャカルタの名物で、おそらくスンダの料理として始まりました。ジャカルタの古い言葉ブタウィ語でdigadoはご飯なしで何かを食べることを意味し、ガドガドはよく「混ぜ混ぜ」と読まれます。正確な誕生はわかっていません。1700年代のポルトガル系入植者だという説から、ジャワのサラダのプチェルを中国系の住民がアレンジしたという説までさまざまです。
ラテはイタリア語のcaffè e latte、つまり「コーヒーとミルク」を縮めたもので、イタリアでは昔から家で、主に朝食に飲まれてきました。イタリアで「ラテ」とだけ頼むと、グラスに入った牛乳が出てきます。1900年代初めにエスプレッソマシンにスチームノズルが加わってカフェのラテが作れるようになり、ミルクたっぷりの大きなラテは1980年代のシアトルで人気になってから世界へ広がりました。
名前の由来は、1529年に創設されたカプチン会の修道士です。彼らの茶色い修道服には、カップッチョと呼ばれる長くとがったフードがついていました。18世紀のウィーンでは、ホイップクリームをのせたコーヒーが修道服と同じ色だったのでカプツィーナーと呼ばれました。1900年代初めにイタリアでエスプレッソマシンが広まると、エスプレッソにミルクを合わせた飲み物になり、修道士の名前はイタリア語で残りました。
カリーヴルストを初めて売ったのはヘルタ・ホイヴァーで、1949年9月4日、西ベルリンのシャルロッテンブルクにある屋台でのことでした。イギリス兵からケチャップ、あるいはウスターソースとカレー粉を手に入れ、ほかのスパイスと混ぜて、焼いた豚肉のソーセージにかけたという話があります。1959年には自分の「チラップ」ソースの特許を取り、正確なレシピは今も秘密です。
物語をすべて読む · 出典: The Local Germany, Currywurst: a product of the British?
カリフラワーはキャベツと同じ野生植物から、おそらく東地中海で生まれました。12〜13世紀のアラブの植物学者たちはキプロス原産だと記していて、西ヨーロッパは1500年代に入ってもしばらく、この島からカリフラワーの種を買っていました。イタリアには1490年ごろ伝わり、名前はイタリア語で「キャベツの花」を意味するcavolfioreから来ています。
カルボナーラは思ったより新しい料理です。名前が初めて活字に出たのは1950年、イタリアの新聞ラ・スタンパが、1944年のローマ解放後にアメリカ軍の将校たちが探し回ったローマの料理として紹介しました。軍の配給のベーコンと粉末卵から生まれたという説が人気ですが、誰が最初に作ったのかは証明できません。
物語をすべて読む · 出典: HistoryNet, How WWII helped produce the savory bacon pasta known as carbonara
キウイはニュージーランドではなく中国の果物です。中国では猿が大好きなことから、猕猴桃(ミーホウタオ)、つまり「マカクの果実」と呼ばれていました。1904年、ワンガヌイの校長イザベル・フレイザーが長江流域から種を持ち帰りました。ニュージーランドでは1959年まで「チャイニーズ・グーズベリー」と呼ばれていましたが、輸出業者が国鳥にちなんでキウイフルーツと名前を変えました。アメリカのメロンへの関税のせいで、メロネットという名前が使えなかったことも理由の一つです。
キッシュは、フランスとドイツのあいだを行き来してきたフランス北東部のロレーヌ地方の生まれです。名前はおそらく、ドイツ語のKuchenの親戚にあたるお菓子を指す地元の方言から来ていて、1605年にロレーヌで書き残されています。初期のキッシュ・ロレーヌは、パイ生地に卵、クリーム、燻製ベーコンを入れたものでした。今の多くのレシピに入るチーズは、後から加わりました。
キットカットは1935年、イギリス・ヨークのラウントリー社から「ラウントリーズ・チョコレート・クリスプ」という素っ気ない名前で発売され、1937年にキットカット・チョコレート・クリスプになりました。名前は1700年ごろロンドンにあった文学と政治のクラブにさかのぼります。クラブは菓子職人クリストファー・キャットリングのパイの店で集まっていて、彼の名前が縮まってキット・キャットになったのです。1988年にネスレがラウントリーを買収してから、ネスレが作っています。
キヌアはアンデスから来ていて、おそらく3,000年から5,000年前に何度か栽培化されました。トウモロコシやジャガイモとともに、インカ、アイマラ、ケチュアの人々の主食でした。スペインの入植者たちはキヌアを隅に追いやりました。先住民にとって宗教的に大切なものだったからかもしれません。世界中で人気になったのは、ここ数十年のことです。
1759年12月31日、アーサー・ギネスはダブリンのセント・ジェームズ・ゲートにある使われていない醸造所の賃貸契約に署名しました。期間は9,000年、賃料は年45ポンドです。当時の契約はふつう21年か99年でした。ギネスはのちに土地ごと買い取ったので契約はもう意味を持ちませんが、原本はギネス・ストアハウスの床のガラスの下に収められています。
キムチは冬に備えて塩漬けにした野菜から始まりました。韓国でもっとも古い記述は『高麗史』(918年から1392年)にあり、大根、セリ、ニラ、たけのこが登場します。唐辛子が朝鮮に届いたのは1592年の壬辰倭乱のころで、キムチに入るまでに約200年かかりました。今では定番の白菜がキムチ用に育てられるようになったのは、20世紀初めからです。
出典: The Korea Herald, Centuries-old staple now enjoyed around the world
砂糖が安くなるずっと前から、にんじんはプディングの甘みに使われていて、初期のにんじんプディングは10世紀のバグダッドで知られています。今のキャロットケーキの形ができたのは1930年代の終わりです。砂糖と脂が配給制だった戦時中のイギリスで、食糧省はにんじんを勧め、1943年7月の「戦時料理リーフレット第4号」にキャロットケーキのレシピを載せました。
キュウリは南アジア、インドからヒマラヤの山麓、中国南西部にかけての地域から来ていて、少なくとも3,000年前から育てられてきました。ローマの著述家プリニウスによると、皇帝ティベリウスは夏も冬も毎日キュウリを食卓に出させていて、それは雲母の板で覆った苗床、いわば初期の温室で育てられていました。アメリカでは、ジェームズタウンの入植者たちが1609年までに植えていました。
出典: Wikipedia, Cucumber (history, with cited sources including Pliny the Elder)
ヨーグルトを布でこして濃くするのは、ギリシャの古い伝統です。ギリシャヨーグルトという名前が広まったのはイギリスで、1920年代後半から水切りヨーグルトを作っていたギリシャの乳業会社FAGEが、1983年にトータルというブランドを発売してからでした。2014年、イギリスの裁判所は、ギリシャと名乗って売るヨーグルトは水切りされ、添加物を含まず、ギリシャで作られたものでなければならないと判断しました。ほかの商品に「ギリシャ風」と書かれているのはそのためです。
ギリシャ語の名前ホリアティキは「村のサラダ」という意味で、トマト、きゅうり、玉ねぎ、オリーブ、そして手に入る地元のチーズを合わせた、農家の素朴な夏の食事から生まれました。上にフェタをのせたタベルナの定番料理としては意外に新しく、ギリシャ観光が盛り上がった1960年代か1970年代初めのものと考えられています。年配のギリシャ人の中には、最初は観光客向けの高い料理だと見ていた人もいました。
出典: Aglaia Kremezi, Horiatiki, the peasant roots of Greek salad
縦に回る串で肉を焼く方法は、オスマン帝国のブルサにいた19世紀の肉屋、イスケンデルが始めたとされ、彼のドネルケバブは周りの国々に広がりました。ギリシャではギロスとなり、意味は「回る」で、トルコ語のドネルと同じです。1970年には、ギロスのラップはアテネで、そしてシカゴやニューヨークでも、すでに毎日のファストフードでした。
ピエモンテ州アルバのイタリアの同族企業フェレロが、1990年にキンダーブエノを発売しました。名前は二つの言葉を混ぜたものです。キンダーはドイツ語で「子どもたち」を意味し、フェレロが1968年から使ってきたブランド名。ブエノはスペイン語で「おいしい、よい」の意味です。ほとんどのキンダーのお菓子と違い、小さな子どもではなく、10代や若い大人に向けて作られました。
クスクスは北アフリカから来ていて、おそらくアマジグ、つまりベルベルの人々が始めたものですが、正確な時期は誰にもわかりません。セモリナを手で転がして小さな粒にし、蒸す技は、アルジェリア、モーリタニア、モロッコ、チュニジアに共通するものです。2020年、この4か国は一緒にユネスコの文化遺産に登録しました。共同での登録はめずらしいことです。
チョコチップクッキーは1930年代、マサチューセッツ州ホイットマンのトールハウス・インで生まれました。ルース・ウェイクフィールドがネスレの板チョコを刻んで生地に入れたところ、溶けずに形が残ったのです。ネスレは彼女のレシピをパッケージに載せ、その代わりに一生分のチョコレートを贈りました。cookieという言葉は、小さなお菓子を意味するオランダ語のkoekjeから来ています。
グミベアは1922年、ドイツのボンでハンス・リーゲルが発明しました。その2年前に自宅の台所でハリボーを始めた人物です。ハリボーという名前はHAns RIegel BOnnの略。最初のクマはダンシングベアと呼ばれ、いまより大きくて細身で、ヨーロッパの市で芸をするクマにヒントを得たと言われています。1960年にゴールドベアと改名されました。
出典: Smithsonian Magazine, The colorful history of Haribo Goldbears
グヤーシュは、ハンガリー大平原の牛飼いたちから始まりました。少人数の男たちが、たき火にかけた大鍋で肉と玉ねぎを煮ていたのです。名前はハンガリー語で牛飼いを意味するgulyásから来ていて、つまり「牛飼いの肉」です。パプリカが入ったのは1700年代の終わりごろで、1800年代には街の台所に移り、ハンガリーの象徴になりました。
グラノーラの始まりはグラニュラという名前で、1863年にジェームズ・ケイレブ・ジャクソン医師がニューヨーク州北部の健康保養所で作ったものです。グラハム粉を焼いて砕いたもので、あまりに固いため、ひと晩牛乳に浸す必要がありました。ジョン・ハーヴェイ・ケロッグが同じ名前で似たシリアルを売ると、ジャクソンは訴えを起こし、ケロッグは自分の商品の名前をグラノーラに変えました。
出典: Smithsonian Magazine, The First Breakfast Cereal Had to Be Soaked Overnight
グラノーラの始まりはグラニュラです。1863年、ジェームズ・ケイレブ・ジャクソン医師がニューヨーク州ダンズビルの療養所で作った、2度焼きの小麦シリアルでした。ジョン・ハーヴェイ・ケロッグが似たシリアルを作り、法的な争いを避けるためにグラノーラと名づけます。バーが登場するのはずっとあと。1975年、ネイチャーバレーが大手食品会社による初のグラノーラバーとうたう商品を、ハニー&オーツ、シナモン、ココナッツの味で発売しました。
確かなことは誰にもわかりません。知られている最初の記述は1889年、ニューヨークの新聞が七面鳥か鶏肉とハムを挟んだトーストについて書いたもので、初期の資料のいくつかは、マンハッタンのユニオン・クラブのシェフの考案としています。1894年、サラトガ・スプリングスのサラトガ・クラブハウスが発祥だという別の話もあります。1899年にはアメリカ中のレストランのメニューに載っていました。
1872年、ニューヨーク州チェスターの酪農家ウィリアム・ローレンスが、クリームを足した濃厚で塗りやすいチーズを作り始めました。フランス風のヌーシャテルを作っていて偶然できたという話が広まっていますが、疑問視する食の歴史家もいます。1880年、ある卸業者が酪農で知られた街にちなんでブランド名をフィラデルフィアとしました。ただしフィラデルフィアで作られたことは一度もありません。
グリーンカレーは思ったより新しい料理です。1890年代初めのタイの料理書にはほかのカレーは載っていてもこれはなく、知られている最初の記述は、L・ペーハトララートという筆名の著者による1926年の本です。タイ語の名前ゲーン・キアオ・ワーンは「甘い緑のカレー」という意味ですが、「甘い」は味ではなく、やわらかく淡い緑色のことを指しています。
出典: National Geographic, Thai green curry: revealing the spicy secrets of a culinary classic
エンドウ豆は最も古い作物の一つです。新石器時代後期の遺物が中東で見つかっていて、野生種は地中海のまわりに生えています。何世紀もの間、ほとんど乾燥させて食べられていました。みずみずしいグリーンピースは1660年からルイ14世の宮廷で大流行し、1860年代には修道士グレゴール・メンデルがエンドウ豆を使って遺伝の仕組みを解き明かしました。
チーズのトーストサンドイッチは思ったより古いものです。1861年にイギリスで出版された『ビートン夫人の家政読本』には、黒パン、バター、チェシャーチーズで作り、オーブンで焼くものが載っています。アメリカでは大恐慌のころ、「チーズドリーム」と呼ばれるオープンサンドが人気になり、第二次世界大戦中には海軍の料理人がチーズサンドイッチを出していました。
クルミの木はイランとその周辺が原産で、そのためペルシャグルミとも呼ばれます。現地では何千年も前から育てられ、ギリシャ人とローマ人が地中海沿岸に広めました。ラテン語の学名Juglans regiaは、ユピテルの王のナッツという意味です。
薄いパンケーキは世界中で食べられていますが、クレープはフランス北西部のブルターニュと結びついています。ブルターニュ版に使うそば粉がこの地に届いたのは15世紀で、よく言われるように十字軍と一緒に来たわけではありません。クレープを指すブルトン語は1499年の辞書にすでに載っていて、パリに移ったブルターニュの人々が、1950年代にパリでクレープ屋をはやらせました。
出典: Bécédia, Bretagne Culture Diversité: Did the Bretons invent the crêpe?
グレープフルーツは果物としては若い部類です。1700年代、バルバドス島でオレンジとブンタンが自然に交ざって生まれ、1750年にグリフィス・ヒューズ牧師が初めて記録しました。当時は「禁断の果実」と呼ばれることが多かったそうです。グレープフルーツという名前はあとからついたもので、小さな緑の実が房になって下がる様子がブドウに少し似ているからだと考えられています。
クロックムッシュはフランスの料理で、名前は「かりっとかじる」を意味するcroquerと「ムッシュ」を組み合わせたものです。1910年にパリのキャピュシーヌ大通りのカフェで初めて出されたとよく言われますが、その年ははっきりしません。プルーストが1918年に小説でこの名前を使い、目玉焼きをのせたクロックマダムは1960年ごろに登場しました。
出典: Barry Popik, The Big Apple: Croque Monsieur (Croque Madame)
クロワッサンの始まりは、少なくとも13世紀から知られていたオーストリアの三日月形のパン、キプフェルです。1838年か1839年ごろ、元オーストリア砲兵将校のアウグスト・ツァンがパリにウィーン風のパン屋を開き、フランスのパン職人がそれをまねて、三日月を意味するcroissantと名づけました。1683年のウィーン包囲のあとに生まれたという話は伝説です。
クワルクは中欧と東欧のフレッシュチーズで、最初に作ったのが誰かはわかっていません。名前は西スラヴ語から借りたもので、ポーランド語のtwarógと比べるとよくわかります。中世後期のドイツ語ではtwarcとして現れ、やがてquarkになりました。ちょっとおもしろいことに、16世紀からドイツ人はQuarkを「ばかげた話」という意味でも使っています。
メキシコの人々はスペイン人が来るずっと前からトウモロコシのトルティーヤを作っていましたが、チーズは1500年代にスペイン人が連れてきた牛やヤギとともにやって来ました。ケサディーヤは、その出会いから植民地時代のメキシコで生まれます。名前はスペイン語でチーズを意味するquesoから来ていて、昔のスペイン語でquesadillaは、実は甘いチーズのお菓子のことでした。
ケチャップはもともと魚のソースでした。言葉はおそらく、中国南部や東南アジアの魚の塩漬け汁から来ていて、1600年代にヨーロッパの船乗りが出会ったものです。初期のイギリスのケチャップはマッシュルームやクルミ、アンチョビで作られていました。アメリカで最初期のトマトケチャップのレシピのひとつは1812年、フィラデルフィアの医師ジェームズ・ミースの本に載ったもので、彼はトマトを愛のりんごと呼んでいました。
物語をすべて読む · 出典: Smithsonian Magazine, The birth of non-alcoholic ketchup
ケフィアはコーカサス山脈の生まれで、牧畜の人々が何世紀も前から、酵母と細菌の小さなかたまりであるケフィアグレインで牛乳を発酵させてきました。名前はおそらく、「楽しみ」を意味するトルコ語のkeyifから来ています。19世紀には健康にいい飲み物として大事にされ、1900年代初めに酪農場で働く若者が最初のグレインをモスクワに持ち込んだという話がよく知られています。
最初の一杯のコカ・コーラが注がれたのは1886年5月8日、アトランタのジェイコブズ薬局でした。薬剤師ジョン・ペンバートンが新しいシロップを持ち込んだのです。1杯5セントで、最初の年は1日に約9杯売れました。名前を選んだのは彼の帳簿係フランク・ロビンソンで、二つのCが広告で映えると考え、いまも缶に描かれている流れるような筆記体で書きました。
物語をすべて読む · 出典: The Coca-Cola Company, The Birth of a Refreshing Idea
名前はオランダ語です。koolslaはキャベツのサラダという意味で、koolがキャベツ、slaがサラダです。今のニューヨークにあたるニューアムステルダムのオランダ人入植者がこの料理を持ち込み、英語のcoleslawという言葉は1794年に初めて記録されています。冷やして出すので、アメリカ人はよく「コールドスロー」と聞き間違えていました。
出典: Merriam-Webster, coleslaw (etymology and first known use)
日本の京都では何世紀も前から、時間をかけて一滴ずつ落とす水出しコーヒーが作られてきました。1600年代にオランダの商人がそのアイデアを持ち込んだという話がありますが、証明するのは難しいところです。今のコールドブリューは、コーネル大学で学んだ化学技術者トッド・シンプソンにさかのぼります。中南米への旅でコーヒーの濃縮液を味わい、1964年に自分の「トディ」コールドブリューシステムの特許を取りました。
コーンフレークは1894年ごろ、ミシガン州のバトルクリーク・サナトリウムで偶然生まれました。ケロッグ兄弟が加熱した小麦をひと晩置きっぱなしにしてしまい、それでもローラーにかけるとフレーク状になったので、焼いて患者に出したのです。1906年にウィル・キース・ケロッグがバトルクリーク・トーステッド・コーンフレーク社を設立し、これがのちのケロッグ社になりました。
出典: EBSCO Research Starters, Kellogg's Corn Flakes Launch the Dry Cereal Industry
コカ・コーラ ゼロは2005年にアメリカで発売された、ふつうのコカ・コーラの味をめざした砂糖ゼロのコーラです。2016年と2017年にレシピが新しくなり、意味がもっと伝わるようにコカ・コーラ ゼロシュガーという名前になりました。この変更がアメリカに届いたとき、1985年に失敗したニュー・コークになぞらえるファンもいました。
出典: The Coca-Cola Company, Coca-Cola Zero Sugar launches in United States
ココナッツウォーターは若いココナッツから採れ、ココヤシは2度栽培化されました。1,322個のココナッツを調べた2011年の遺伝子研究で、フィリピンやインドネシアなど東南アジアの島々のグループと、インド南部、スリランカ、モルディブのグループが見つかったのです。のちにオーストロネシアの船乗りたちが、太平洋のココナッツをはるばるマダガスカルまで運びました。
出典: Gunn, Baudouin and Olsen, PLOS One 2011, Independent Origins of Cultivated Coconut
コロナはメキシコシティのセルベセリア・モデロのビールです。醸造所は1925年に開かれ、その後の数年でコロナを売り出しました。初期の醸造家にはドイツ系移民もいました。コロナはスペイン語で「王冠」のことで、だからラベルに王冠が描かれています。瓶の口に最初にライムを押し込んだのが誰かはわかっていません。話はたくさんありますが、どれも証明されていません。
コンブチャの起源ははっきりしません。紀元前221年の中国とする話や、コンブという医師にちなんで日本とする話がよく知られていますが、どちらにも証拠はありません。確かな記録が最初に出てくるのは1800年代後半のロシアとウクライナで、そこから東ヨーロッパのほかの国々やドイツへ広がりました。満州茶と呼ばれたこともあります。
出典: Smithsonian Center for Folklife and Cultural Heritage, The Cloudy Origins of Kombucha
アジアの稲は中国で最初に栽培化され、最古の証拠は中国の中部と東部から見つかっていて、紀元前7000年から5000年ごろのものです。初期の稲作はインドや東南アジアでも知られていて、いまも世界の米の90パーセント以上をアジアが作っています。アフリカには独自の種、アフリカイネがあり、西アフリカで別に栽培化されました。
いまお店に並ぶサーモンの多くは養殖で、その始まりはノルウェーです。1970年5月28日、ヒトラ島でオーヴェとシヴェルトのグロントヴェット兄弟が、海に浮かべた網いけすに稚魚を放しました。これが養殖タイセイヨウサケの最初の成功した世代になり、ノルウェーは今も世界の養殖サーモンの半分以上を生産する最大の産地です。
出典: Norwegian Seafood Council, Celebrating 50 years of modern aquaculture
甘いサクランボは、カスピ海とバルカン半島の間の地域から来ていて、早いころの良いものはアナトリアの黒海沿岸、ポントスで育っていました。ローマの著述家プリニウスによれば、紀元前70年代に将軍ルクルスがそこからサクランボの木をローマへ持ち帰ったという話が伝わっています。言葉はギリシャ語のkerasosにさかのぼり、英語のcherryは、cheriseが複数形のように聞こえたため最後のsが落ちました。
ザクロはイランとその周辺の国々が原産です。栽培の歴史がとても長いため、近代よりずっと前に地中海全域、そしてアラビア半島、アフガニスタン、インドへと広がっていました。いまはアメリカ大陸でも、アメリカ合衆国の温暖な地域からチリまで広く育てられています。
ザジキのもとはトルコのジャジュクで、きゅうりとにんにくの入ったヨーグルトのディップとして、かつてのオスマン帝国全体で食べられていました。ジャジュクが初めて活字に登場するのは1844年、オスマン帝国最初の料理書で、ただ「きゅうりとにんにく入りのヨーグルト」と書かれています。もっと古い親戚のジャジャクと呼ばれるヨーグルトサラダは、10世紀のバグダッドの料理書にすでに載っています。
サツマイモは熱帯の中南米で栽培化され、少なくとも5,000年前には育てられていました。スペインの船乗りがヨーロッパへ運び、カリブの言葉batataから、そこで最初に「ポテト」と呼ばれた植物になりました。驚くことに、ヨーロッパの人々が来る何世紀も前から太平洋の島々にすでにあり、ポリネシアのクマラという名前はケチュア語の呼び名にとてもよく似ています。これは南米との早い交流を示す手がかりです。
出典: Wikipedia, Sweet potato (history and Polynesian contact, with cited studies)
サテはおそらくジャワの屋台から始まりました。1700年代以降にやって来たインドやアラブの商人のケバブがヒントになったようです。言葉は肉を意味するタミル語のcataiから来ていると考えられています。1870年ごろの写真には、天秤棒をかついだジャワのサテ売りがすでに写っていて、1800年代後半にはマレーシア、シンガポール、タイへと渡っていました。
ザピエカンカは1970年代、共産主義時代のポーランドで生まれました。エドヴァルト・ギエレク政権が小さな個人の屋台を認め、彼が買い取ったライセンスのもとで、ポーランドはフランス風のバゲットを焼き始めていました。半分に切ったバゲットにマッシュルームとチーズをのせたものは、物の少ない時代に安くて早くてお腹にたまり、屋台はどこでもこれを売りました。名前は単に「焼いたもの」という意味です。
サモサは中東と中央アジアのサンブーサクとして始まり、13世紀のバグダッドの料理書にはすでに3つのレシピが載っています。14世紀には旅行家イブン・バットゥータがデリーの宮廷でサモサを食べていて、中身はひき肉、アーモンド、ピスタチオ、クルミでした。じゃがいものサモサはずっとあとのもの。じゃがいもがインドに届いたのが1600年代だからです。
さやいんげんはインゲンマメの若いさやで、メキシコやペルーでは何千年も前から育てられてきました。1493年からのコロンブスの航海のあとに豆はヨーロッパへ渡り、イギリスではよくフレンチビーンズと呼ばれます。長い間、さやの横には固い筋がありましたが、1894年、ニューヨーク州ル・ロイのカルヴィン・キーニーが初めての筋なしインゲンを生み出しました。
サラミがどこで始まったのか、正確にはわかっていません。ただ塩をして乾かしたソーセージは古代ローマの時代か、それ以前から、地中海のまわりのさまざまな人々が作っていました。名前はイタリア語で、salameの複数形です。もとは「塩をする」という意味のsalareで、さらにラテン語のsalにさかのぼります。イタリアだけでも、名前のついた種類が150以上あります。
サングリアの名前は、深い赤ワインの色から、瀉血を意味するスペイン語のサングリアに由来します。ワインを砂糖やスパイスで甘くするのはもっと古い習慣で、スパイスワインのヒポクラスがおそらくサングリアとホットワインの共通の祖先です。スペインの人々は何世紀も前から飲んでいましたが、アメリカ人が初めて出会ったのは1964年のニューヨーク万国博覧会のスペイン館で、そこから人気が広がりました。
名前の由来はローマ皇帝ではなく、レストランの店主です。イタリア系移民のシーザー・カルディーニは、メキシコのティフアナで店を開いていました。禁酒法の時代、アメリカ人が酒を飲みに来ていた町です。言い伝えでは1924年の忙しい祝日、材料が足りなくなった彼が、ロメインレタス、パルメザン、レモン、クルトン、卵、ウスターソースをテーブルで和えたそうです。彼の兄弟や店のシェフのひとりが作ったという説もあります。
イギリスのシードルは1066年のノルマン人と結びつけられることが多いのですが、それより古いものです。ケルト人がおそらく野生のリンゴで作っていて、ローマ時代には管理されたリンゴ栽培が始まり、持ち込まれた品種が野生のものと混ざりました。13世紀からはノルマンディーから新しい品種が次々に届き、最初はおもにデヴォンに植えられて、イングランドのシードルの味を形づくりました。
シナモンロールの本家を名乗るのはスウェーデンです。カネルブッレが人気になったのは第一次世界大戦後の1920年代、バターや砂糖、スパイスがまた手ごろになってからでした。スウェーデンでは生地にカルダモンを入れ、アイシングのかわりにパールシュガーをのせます。1999年からは10月4日がシナモンロールの日になっていて、家庭製菓協議会が40周年を記念して始めました。
出典: The Local Sweden, Swedish Cinnamon Bun Day: What's it all about?
ジャガイモは7,000年以上前、アンデス中央部の先住民によって何度も栽培化され、アンデスの農民は何百もの品種を育てていました。1500年代後半、スペインの征服者たちがヨーロッパへ持ち込みました。英語のpotatoはもともとサツマイモを指す言葉でした。スペイン語のpatataから来ていて、それはサツマイモを表すカリブの言葉batataにさかのぼります。
シャクシュカは北アフリカの料理で、名前はマグリブのアラビア語で「混ぜたもの」を意味します。トマトを使う形ではそれほど古いはずがありません。トマトがアメリカ大陸からこの地域に届いたのは1500年代以降だからです。1950年代にマグリブのユダヤ人がイスラエルに持ち込み、1990年代からはイスラエルの朝ごはんの定番になりました。
知られている最古のレシピは、4世紀ごろのローマの料理書『アピキウス』にあります。マルメロをはちみつでつぶしたものでした。いまのようなジャムには砂糖が必要で、砂糖は6世紀までにペルシャで栽培されていました。十字軍が砂糖たっぷりの果物の保存食を中世ヨーロッパに持ち帰り、それはお金持ちのぜいたく品でした。英語のjamという言葉の由来は、いまもわかっていません。
出典: National Geographic, The short, sweet, and sticky history of jam
シャワルマはオスマン帝国の生まれで、味付けした肉を重ねて回る串で焼いていました。オスマン帝国の文献ではçevirme kebabı、「回すケバブ」と呼ばれ、çevirmeがアラビア語でシャワルマになり、トルコ語はのちにドネルに変わりました。レバノンからの移民がメキシコに持ち込み、1930年代にタコス・アラベスになり、さらにタコス・アル・パストールになりました。
出典: CNN via CP24, How roasted meats went spinning all the way around the world
シャンパーニュの名前は、それが造られているフランス北東部の地方から来ています。修道士ドン・ペリニヨンが泡を発明したという伝説がありますが、歴史家は疑っています。1668年からオーヴィレール修道院にいた彼が知られるようになったのは、ワインのブレンドの腕でした。この地方で発泡ワインがあえて造られるようになったのは1670年から1720年ごろで、1685年にシャンパーニュに届いたコルク栓がそれを後押ししました。
ラデツキー元帥が1857年ごろ、パン粉をつけた子牛のカツレツをミラノからウィーンに持ち帰ったという話があります。ただ歴史家は疑っています。オーストリア政府観光局によると、ウィンナーシュニッツェルがオーストリア料理に初めて登場するのは1831年で、のちに言語学者が、ラデツキーの話が出てきたのは1869年になってからだと示しました。シュニッツェルはドイツ語でただ「小さな切り身」という意味です。
19世紀のイギリス領インドでは、兵士や役人がマラリア対策にキニーネを飲んでいました。あまりに苦いので、ソーダ水と砂糖で割り、さらに配給のジンを加えるようになりました。トニックウォーターは1858年に発売され、ジントニックの知られている最初の記録である1868年の『Oriental Sporting Magazine』では、すでに競馬場で飲むお酒として扱われています。いまのトニックはキニーネがずっと少なくなっています。
スイカは北東アフリカから来ています。2021年の研究で、最も近い野生の親戚はスーダンのコルドファン・メロンだとわかりました。果肉は淡い色で苦みがなく、生で食べられます。これは、サッカラにある4,300年前のエジプトの墓の壁画とも合います。そこにはほかの甘い果物と並んで、緑の縞のある大きなメロンが描かれているのです。約150年もの間、科学者たちは原産地を誤って南アフリカだとしていました。
出典: Smithsonian Magazine, Researchers uncover watermelon's origins
スキールは、9世紀にノルド人がアイスランドに入植して以来ずっと作られてきたようです。当時は同じ名前の乳製品が北欧全体で知られていましたが、伝統を守り続けたのはアイスランドだけでした。入植者たちのスキールは、いま売られている濃いカップのものより酸っぱくて薄かったと考えられています。いちばん大きく変わったのは、前世紀に工場生産が主流になってからです。
出典: Matís, Iceland's food and biotech research institute, on traditional skyr
最初に卵をかき混ぜたのが誰かはわかりません。人は鶏を飼うようになってからずっと、卵をフライパンで焼いてきたからです。名前は料理よりも新しいものです。英語でscrambled eggs、つまりフライパンに割り入れた卵をバター、塩、こしょうと混ぜてゆっくり火を通したものが初めて記録されたのは1843年です。
スコーンはスコットランドのものです。最初の記録は1513年で、ガヴィン・ダグラスがウェルギリウスの『アエネーイス』をスコットランド語に訳した中に、小麦粉のスコーンが登場します。言葉はおそらく「上等なパン」を意味する中期オランダ語のschoonbrotから来ています。スコットランド王が戴冠したスクーンの石にちなんだ名前だという説は広く知られていますが、歴史というよりすてきなお話です。
カボチャの仲間はアメリカ大陸から来て、1500年代初めまでにヨーロッパへ届きましたが、ズッキーニそのものはイタリア生まれです。19世紀半ば、ミラノ周辺の農家が細長い濃い緑のカボチャを作り出し、イタリア語のzucchiniはzuccaから来た「小さなカボチャ」という意味です。イギリスが借りたフランス語のcourgetteは、フランス語でウリを指すcourgeから20世紀に作られた言葉です。
厚切りの肉を火であぶるのは料理そのものと同じくらい古いので、発明者はいません。おもしろいのは言葉のほうです。英語のstekeは15世紀半ばに現れ、おそらく古ノルド語で焼いた肉を意味するsteikから来ています。串焼きにするという意味のsteikjaとも関係があります。つまりステーキはもともと串に刺した肉で、言葉はスカンジナビア経由で英語に入った可能性が高いのです。
ストロープワッフルはゴーダの生まれです。1800年ごろ、パン職人たちが残ったパンくずとシロップで作り、「貧乏人のクッキー」として裏口で安く売っていました。1810年ごろにゴーダのパン職人ヘラルト・カンプハイゼンが考えたとよく言われますが、証明はできません。1870年まではゴーダでしか作られておらず、かつては約100軒のシロップワッフル屋がありました。
出典: Kenniscentrum Immaterieel Erfgoed Nederland, Baking syrup waffles
スニッカーズは1930年にフランク・マースが発売し、最初のバーはシカゴで作られ、5セントで売られました。マース家のミルキーウェイ農場で特にかわいがられていた馬の名前から取ったという話が伝わっていて、ブランド自身も「とされている」と言っています。その後、世界で最も売れるチョコバーの一つになりました。
パスタ用の肉のラグーは、ボローニャ周辺の生まれです。最初期のレシピのひとつは18世紀末にイーモラで、のちに教皇ピウス7世となる枢機卿の料理人アルベルト・アルヴィージが書いたもの。1891年にはペッレグリーノ・アルトゥージがボローニャ風ラグーのレシピを出版しました。ボローニャではタリアテッレと合わせるのが定番で、スパゲッティ・ボロネーゼは国外のイタリア系移民のあいだで育った料理です。
じっくり焼いたスペアリブはバーベキューの料理で、その言葉はカリブ海から来ています。タイノ族は、4本の柱の上に棒を渡して縛った木の台で肉を焼いていて、スペイン人がその言葉barabicuをbarbacoaに変えました。探検家ゴンサロ・フェルナンデス・デ・オビエドが1526年に初めて活字にし、そこから英語に入っていきました。
じゃがいもがアメリカ大陸からスペインに届いたのは1500年代ですが、じゃがいものトルティージャについて知られている最古の記述は1817年のナバラのものです。貧しい農民についてナバラ議会に宛てた匿名の手紙で、卵数個とじゃがいもで2、3枚のトルティージャを作り、家族を養っていたと書かれています。ある将軍が考えたという話は伝説です。
出典: Noticias de Navarra, Una tortilla dorada con receta navarra
今のスポーツドリンクは、1965年にフロリダ大学で生まれました。アメフトチーム、ゲーターズの選手が暑さで次々とばてていたからです。腎臓の医師ロバート・ケイドと仲間たちが、選手が汗で失ったものを補うために水、砂糖、塩分を混ぜ、チームにちなんでゲータレードと名づけました。初めて試合で使われたのは1965年10月2日のLSU戦で、フロリダが勝ちました。
果物をミキサーにかけた飲み物は、電動ミキサーが登場したあと、アメリカ西海岸の自然食品店で人気になりました。1960年代、スティーブ・クーノーが乳製品を使わない代わりの飲み物として、果物とジュースとプロテインパウダーを混ぜ始め、1973年にシンディ・クーノーとルイジアナ州ケナーでスムージーキングを開きます。スムージーという言葉は1980年代半ばにはレシピや商標に使われていました。
冷蔵庫のない時代から、魚は燻して保存されてきました。ただロンドンのスモークサーモンは、1800年代後半にロシアやポーランドから来たユダヤ系移民が持ち込んだものです。1905年、オデッサから逃れてきたアーロン・ハリー・フォーマンがイーストエンドで燻製を始め、ビリングスゲート市場で仕入れたスコットランド産の新鮮な鮭を使いました。H. Forman & Sonは、自らを世界最古のサーモン燻製業者と名乗っています。
名前は単純に「バターとパン」という意味です。おそらく農家の昼食として始まったもので、前の晩の残りをライ麦パンにのせていました。それをコペンハーゲンが華やかにし、1930年代にはレストラン、オスカー・ダヴィドセンが世界一長いオープンサンドのメニューで国内外に知られるようになりました。長さ1.4メートル、約170種類が並び、中には「獣医の夜食」という名前のものもありました。
セビーチェはペルーの海岸の生まれで、チンチャのような漁の民が生の魚を食べていました。スペイン人がライムとレモンを持ち込み、柑橘でマリネした魚が今の料理になりました。名前は、エスカベッシュの語源である、酢で調理した肉を指すアラビア語のsakbājから来たのかもしれませんし、ケチュア語の言葉から来たのかもしれません。2023年、ユネスコが無形文化遺産に登録しました。
ソーセージは肉を保存するもっとも古い方法のひとつで、古代バビロニアやギリシャ、ローマですでに食べられていました。言葉はラテン語で塩漬けを意味するsalsusから。腐らないようにしていたのが塩だったからです。のちにヨーロッパの多くの都市が自分たちのソーセージに名前を貸し、フランクフルトのフランクフルター、ボローニャのボローニャソーセージが生まれました。
ソトはジャワの料理で、歴史家は中国の料理人が形作るのを手伝ったと考えています。フランスの歴史家ドゥニ・ロンバールは、1600年代からスマランの中国系移民に人気だった福建の臓物スープ、チャウドにたどり着き、ソトという名前はその言葉から来たのかもしれません。ターメリックはインドの影響を示していて、ソトアヤムはその鶏肉版です。
出典: The Jakarta Post, Soto reflects RI's rich culinary culture (2017)
トウモロコシのトルティーヤはメキシコで何千年もの歴史がありますが、タコスという言葉は比較的新しいものです。歴史家ジェフリー・ピルチャーは、18世紀の銀山から来ていると考えています。そこではタコは、岩に詰める火薬を紙で包んだものを指していました。最初の文字記録は1800年代の終わりになってようやく現れ、最初期のタコスのひとつがタコス・デ・ミネロ、鉱夫のタコスでした。
タピオカミルクティーは1980年代の台湾生まれで、どちらが最初かを2軒の茶館が今も争っています。台中の春水堂は、1988年にスタッフが甘いタピオカをアイスミルクティーに落としたのが始まりだと言います。台南の翰林茶館は、1986年に創業者が市場で白いタピオカパールを見つけて思いついたと言い、パールミルクティーとも呼ばれるのはそのためです。
タラは1,000年以上もヨーロッパの食を支えてきました。バルト海にあったヴァイキングの交易港ハイタブで見つかった800年から1066年のタラの骨は、DNAを調べると、ノルウェー北部ロフォーテン沖の北極圏の海のものでした。冷たい空気で干したタラ、ストックフィッシュとして運ばれたもので、ヨーロッパでもっとも古い遠距離交易のひとつです。
チアはメキシコとグアテマラ原産で、名前はナワトル語で「油っぽい」を意味するchianから来ています。アステカの人々はトウモロコシや豆と並べて育て、炒って粉にし、戦士や使者は長い旅に種を持ち歩きました。スペインの征服後は小麦や大麦に押されて隅に追いやられ、作物として戻ってきたのは1990年代になってからです。
最初にチーズを作ったのが誰かはわかりませんが、確かな証拠として最古のものは約7,000年前にさかのぼります。ポーランドのクヤヴィ地方で、考古学者が小さな穴がたくさん開いた土器のざるを見つけ、そこに残った乳脂肪から凝乳をこすのに使われていたことがわかりました。当時チーズには大きな利点がありました。乳糖が牛乳よりずっと少なく、そのころの大人の多くは乳糖を消化できなかったのです。
出典: University of Bristol, first cheese making in Northern Europe (study in Nature, 2012)
チーズを使ったケーキは古代ギリシャにさかのぼり、言い伝えでは紀元前776年の第1回オリンピックで選手たちが食べたそうですが、証明するのは難しい話です。ローマ人もチーズと小麦粉と卵を一緒に焼いていて、そのレシピは大カトーが書き残しています。ニューヨークチーズケーキにはクリームチーズが欠かせず、これは1872年、ニューヨーク州チェスターの酪農家ウィリアム・ローレンスがフランスのヌーシャテルをまねようとして初めて作ったものです。
チーズバーガーの生みの親とよく言われるのはライオネル・スターンバーガーです。16歳のとき、カリフォルニア州パサデナにある父のサンドイッチ店「ザ・ライト・スポット」でグリルを担当していました。1924年、焼けているハンバーガーにアメリカンチーズを1枚落としたところ、それがメニューになったという話があります。アメリカのほかの食堂も名乗りを上げているので、最初かどうかは証明しにくいところです。
チーズをワインで溶かし、パンをひたして食べる料理の知られている最古のレシピは、1699年にチューリッヒで出版された本にあり、「Käss mit Wein zu kochen」という名前で載っています。フォンデュという名前は「溶かす」を意味するフランス語のfondreから来ています。スイスの国民食になったのは、チーズをもっと売るために1930年代から宣伝したスイスチーズ連合のおかげが大きいのです。
出典: Wikipedia, Fondue (cites the 1699 Zurich recipe and the Swiss Cheese Union)
名前はオスマン・トルコ語のkebapから来ていて、オスマン帝国とともにバルカン半島へ伝わりました。ćevapiという言葉は1850年代の文書に現れ、1860年代からはセルビア南部レスコヴァツの焼き手たちがベオグラードで有名にしました。サラエボ風やバニャ・ルカ風はもっとあと、1950年代から60年代のユーゴスラビアで形になりました。本当に考え出したのが誰かは、いまも議論が続いています。
東京の銀座スイスは、カツカレーは1948年に自分たちの店で生まれたとしています。野球選手の千葉茂が、好物のカツとカレーをひと皿にしてほしいと頼んだのがきっかけで、店は今もそれを「千葉さんのカツレツカレー」と呼んでいます。ただ、浅草の河金は1918年、新宿の王ろじは1921年を主張していて、銀座スイス自身も最初だとは言い切れないとしています。
出典: Tokyo Metropolitan Government, Tokyo Updates: Japan's Dueling Katsu Curry Creators
カレーという言葉は、タミル語やカンナダ語、マラヤーラム語など南インドの言葉で、スパイスのきいたソースや料理を指すkariから来ています。ポルトガルの商人がこれをcarilに変えたとみられ、英語では1590年代にはcurryになっていました。インドにはカレーという一品の料理があったわけではありません。まったく違う数多くのソースを、外から来た人がひとまとめに呼んだ言葉なのです。
チキンスープを薬として扱った最初の記録は中国のもので、紀元前2世紀ごろ、体を温める「陽」の食べ物とされていました。12世紀にはユダヤ人の医師マイモニデスが熱やせきに鶏のスープを勧め、これが「ユダヤのペニシリン」というあだ名がついた理由のひとつです。その後の研究では、鼻づまりには、ほかの温かい飲み物と同じくらい効くとわかっています。
出典: McGill University Office for Science and Society, Chicken soup
多くの説では、生まれたのはインドではなくイギリスです。グラスゴーのシーシュ・マハルのアリ・アハメド・アスラムは、チキンティッカがパサパサだと言った客のために作ったと語っていましたが、イギリスのほかのシェフたちも自分が考えたと主張しています。話に出てくる有名なトマトスープの缶も、のちに作り話だとされました。2001年、ロビン・クック外相はこれを本物のイギリスの国民食と呼びました。
1963年、ニューヨーク州にあるコーネル大学の家禽学の教授ロバート・C・ベイカーが、ひいた鶏肉をまとめ、冷凍しても揚げても衣がはがれない方法を考え出しました。名前はチキンスティック。ベイカーは特許を取らなかったので、のちにマクドナルドが独自のチキンマックナゲットを出したときも、一銭も入りませんでした。
チキンマックナゲットを考えたのは、ルクセンブルク出身でマクドナルド初のエグゼクティブシェフとなったルネ・アランで、レシピは1979年に完成しました。1980年にテネシー州ノックスビルで試験販売すると、売れ行きがあまりに速く、マクドナルドは鶏肉が足りなくなりました。供給の目処が立った1983年、全米で発売されました。
チャーハンは中国生まれ。冷めた残りご飯を卵や油、残り物と炒めて、何も無駄にしないための料理でした。最古の記録はふつう隋の時代、589年から618年ごろの揚州とされますが、それを裏づける文献はわずかです。揚州炒飯は今もいちばん知られたチャーハンのひとつです。
チャイはヒンディー語でただお茶のことで、中国語のチャから来ています。1900年代初めにインド茶業協会が宣伝するまで、ほとんどのインド人は紅茶をあまり飲んでいませんでした。街角のチャイワーラーたちは、牛乳や砂糖、しょうがやカルダモンなどのスパイスでかさを増やしました。チャイラテはアメリカのカフェ版で、スターバックスが1998年に甘い濃縮液で作るものをメニューに加えました。
チュロスがどこで生まれたのか、確かなことはわかっていません。スペインの羊飼いが山で生地を揚げ、チュラ種の羊の筋の入った角にちなんで名づけたという話は有名ですが、伝説です。ポルトガルの船乗りが中国の油条(ヨウティアオ)からアイデアを持ち帰ったという説もあります。食の歴史家の多くは、地中海の周りで何世紀も食べられてきた、絞り出して揚げる生地のひとつと見ています。
出典: Food Republic, The Murky Origins Of Churros, From China To The Spanish Mountains
板チョコが食べられるようになるずっと前から、人々は何千年もカカオを飲んでいました。ただミルクチョコレートはスイスの発想です。ヴヴェイのチョコレート職人ダニエル・ペーターは、まず友人アンリ・ネスレの粉ミルクを混ぜてみましたが、カビが生えてしまいました。ネスレの練乳に切り替え、1875年についに成功。新しいチョコレートはヨーロッパ中で大人気になりました。
物語をすべて読む · 出典: Swissinfo, Cocoa kings: the pioneers of Switzerland's chocolate revolution
チョコレートは歴史の大半で飲み物でした。1847年、イギリス・ブリストルのフライ家の会社が、カカオバターにすりつぶしたカカオと砂糖を合わせて食べられる甘いチョコレートを作り、これがふつう最初の板チョコとされています。ミルクチョコレートはその30年近くあと、1876年にスイスのダニエル・ペーターがミルクを加える方法を編み出して生まれました。
チョコレートミルクの発明者とよく言われるのは、アイルランドの医師ハンス・スローンです。1687年にジャマイカへ渡り、地元のココアの飲み物が口に合わず、牛乳と混ぜるレシピを持ち帰って、ロンドンで薬として売られました。ただ、ジャマイカの人々は彼が来る前から牛乳とシナモンでココアを作っていたので、歴史家は、彼は発明したのではなく教わったのだと言います。
出典: Natural History Museum, London: Hans Sloane, physician, collector and botanist
塩漬けの腸詰めはローマ人より前からイベリア半島で作られていましたが、いまのチョリソになるにはピメントンが欠かせませんでした。コロンブスのあと、16世紀にアメリカ大陸からスペインへトウガラシが渡り、それを乾かして粉にしたパプリカが、チョリソに赤い色と独特の風味を与えたのです。
最初の文字記録は1826年、イギリス海軍の士官ジョージ・フランシス・ライアンがメキシコ北部で、干し肉をチリソースで煮た料理を食べたときのものです。テキサス州サンアントニオでは、チリクイーンと呼ばれた女性たちが安く売っていました。1893年のシカゴ万国博覧会に出たサンアントニオ・チリスタンドが、アメリカ中にこの料理を知らせます。テキサス州は1977年に州の公式料理に定めました。
ツイックスは1967年、イギリス・スラウのマースの工場で初めて作られ、アメリカに届いたのは1979年でした。ヨーロッパ大陸の多くの国では1991年までレイダーという名前で売られ、その年にどこでもツイックスの名に統一されました。名前はふつう、1パックに2本入っていることから、twin(双子)とsticks(棒)を合わせたものと説明されています。
マグロ漁には何千年もの歴史がありますが、缶詰は比較的新しいものです。1893年、アルバート・ハーフヒルがサンペドロのターミナル島に南カリフォルニア初のイワシ缶詰工場を開き、1903年にはマグロの缶詰も始めました。鶏肉より安い代わりとして売られ、サンペドロはアメリカ有数の漁港に成長します。
出典: The Log, Southern California Fish Co.: San Pedro's First Cannery
ティラミスは多くの人が思うより若いお菓子です。最もよく知られた話では、1969年のクリスマスイブ、トレヴィーゾのレストラン、レ・ベッケリーエでアルバ・ディ・ピッロとパティシエのロベルト・リングアノットが作り、1972年にメニューに載りました。フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州にはもっと早いという独自の主張があり、論争はいまも続いています。名前はイタリア語で「私を元気づけて」という意味です。
ナツメヤシは太古の昔から大切にされてきた木で、おそらく古代メソポタミアの地、いまのイラクが原産です。北アフリカと中東の砂漠のオアシスで主食になりました。大粒のメジュールはモロッコのものです。1927年、そこでヤシが病気に脅かされたとき、品種を守るために11本の若株がカリフォルニアへ送られました。
テキーラの名前は、ブルーアガベが育つメキシコ・ハリスコ州のテキーラの町から来ています。その地の人々はスペイン人が来るずっと前からアガベを発酵させていて、蒸留して蒸留酒にするのは16世紀の征服の後に始まりました。1795年、スペイン国王カルロス4世がホセ・マリア・グアダルーペ・クエルボにアガベの蒸留の最初の許可を与え、彼の一族の会社は今も続いています。
1850年、デンマークのパン職人たちがストライキを起こし、店主たちは外国から職人を雇いました。その中に何人かオーストリア人がいました。彼らは、バターを生地に薄い層で折り込むウィーンのやり方を持ち込みました。デンマークの職人たちはそれを受け継ぎ、卵と油脂を増やして、できたものをwienerbrød、「ウィーンのパン」と呼びました。1915年ごろにはデンマーク系移民がアメリカに持ち込み、そのため世界の他の地域では「デニッシュ」と呼ばれています。
テンペはジャワの生まれで、中国や日本で始まらなかった数少ない伝統的な大豆食品のひとつです。もっとも古い記述は『スラット・チェンティニ』にあり、1800年代初めに書かれたジャワの作品ですが、舞台は1600年代初めなので、テンペは少なくともそれくらい古いのかもしれません。tempeという言葉自体は中部ジャワから来ているようです。
出典: William Shurtleff and Akiko Aoyagi, History of Tempeh (Soyinfo Center)
トウモロコシは約10,000年前、メキシコ南部でバルサス・テオシントから生み出されました。テオシントは小さく固い穂をつける野生の草で、見た目はトウモロコシの穂とまったく違います。先住民の人々は、ヨーロッパの人々が来る前に北はメイン州南部まで広めていました。コロンブスとそのあとの探検家たちがヨーロッパへ運び、maize(メイズ)という言葉は、カリブのタイノ族の言葉mahizからスペイン語を経て来ています。
パンを火であぶる習慣は、固くなるパンがあった時代とほぼ同じくらい古く、言葉はラテン語で「焦がした、乾かした」を意味するtostusから来ています。ポップアップトースターはずっと新しいものです。第一次世界大戦中、ミネソタの工場の食堂で焦げたトーストにうんざりしたチャールズ・ストライトが、1921年に自動トースターの特許を取りました。
出典: MNopedia, Minnesota Historical Society, Toastmaster bread toaster
ニューヨークのオランダ系入植者は、オリークックと呼ぶ甘い生地の玉を揚げていました。油のお菓子という意味です。1809年にはワシントン・アーヴィングがドーナツについて書いています。穴を考えたのはアメリカの船乗りハンソン・グレゴリーとされ、1840年代にブリキのこしょう入れのふたで生焼けの真ん中をくり抜いたと語っていました。歴史家はこれをあくまで話として扱っていますが、穴のおかげで大きなドーナツが中まで火が通るようになったのは本当です。
トニックウォーターは薬として始まりました。1800年代のインドにいたイギリスの将校たちは、マラリアと闘うために南米のキナの木の皮から取れるキニーネを飲んでいて、その苦いものをソーダ水、砂糖、ライム、そしてよくジンと混ぜていました。シュウェップスは1870年にロンドンでインディアン・トニックウォーターを売り始めます。今のトニックに入っているキニーネはごくわずかで、誰かを守れるほどではありません。
ドネルはトルコ語で回るを意味するdönmekから来ていて、縦型の串のことです。19世紀、オスマン帝国の料理人たちが横向きの串を縦向きに変え、ブルサのイスケンデル・エフェンディとカスタモヌのハムディ・ウスタの両方が、自分の考えだと主張しました。パンに挟んだドネルはもっと新しく、1972年に西ベルリンで初めてサンドイッチとして売ったのはトルコ人労働者のカディル・ヌルマンだと広く言われていますが、ほかにも名乗り出る人がいます。
物語をすべて読む · 出典: National Geographic, What is Turkish doner kebab
野生のトマトはアンデス、主にペルーとエクアドルから来ていますが、栽培化されたのはメキシコで、名前はアステカの言葉tomatlから来ています。1500年代初めにスペインの探検家たちがヨーロッパへ持ち込みました。イタリア人は「金のリンゴ」を意味するpomodoroと呼びました。最初のトマトが黄色だったからかもしれません。一方、北ヨーロッパの多くの人々はナス科の植物だったため、長い間トマトを警戒していました。
有名な缶詰のトマトスープは、ニュージャージー州カムデンのキャンベルから始まります。1895年、すぐ食べられるビーフステーキ・トマトスープを発売しました。1897年には24歳の化学者ジョン・T・ドーランスが水分を抜く方法を考え出し、スープが小さくて安い缶に収まるようになります。赤と白のラベルは1898年、ある幹部がコーネル大学の新しいアメフトのユニフォームに感心したことから生まれ、1962年にはアンディ・ウォーホルがこの缶を描きました。
トムヤムはタイ中部の川沿いの村から生まれました。淡水エビがたくさん獲れ、人々はレモングラス、こぶみかんの葉、ガランガルと一緒にゆでていたのです。名前は「煮る」を意味するトムと、酸っぱくて辛いタイのサラダ、ヤムを合わせたものです。スープそのものは記録よりきっと古いのですが、書き残された最初のものは、ラーマ5世の時代、1898年と1908年のタイの本に登場します。
出典: Thailand Foundation, Tom Yum Kung: The Symbol of Thai Culinary Spirit
ドラゴンフルーツは、メキシコ南部と中米の太平洋側に育つ、つる性のサボテンの実で、現地ではピタヤやピタハヤと呼ばれます。1860年ごろにフランス人がベトナムに持ち込んだとされ、ベトナム語の名前thanh long、「青い龍」が、英語の名前のもとになったと考えられます。ベトナムは今、最大級の輸出国のひとつです。
ドリトスは1960年代初め、カリフォルニアのディズニーランドの中にあったレストラン、カサ・デ・フリトスで始まりました。余ったトルティーヤを切って揚げ、味をつけて出していたのです。フリトレーのマーケティング担当役員アーチ・ウェストがその売れ行きに目をつけ、1966年、ドリトスは全米で発売され、全国で売られた初めてのトルティーヤチップスになりました。名前はスペイン語で「金色の」を意味するdoradoにかけたものです。
トルティーヤはラップよりずっと古い食べ物です。メソアメリカの人々は何千年も前からトウモロコシの薄焼きパンを作り、アステカの言葉ナワトル語でトラスカリと呼んでいました。16世紀にやって来たスペイン人がこれを「小さなお菓子」を意味するトルティーヤと名づけ、小麦を持ち込みます。ラップに使う小麦粉のトルティーヤはずっとあとに生まれ、おもにメキシコ北部とアメリカで広まりました。
ナッツとレーズンを山歩きのおやつにする習慣は、少なくとも1910年代にさかのぼります。アメリカのアウトドアの達人ホレス・ケファートが、キャンプの手引き書に「殻をむいたナッツとレーズンをひとつかみずつ、それに甘いチョコレートをひとかけ持てば、山道を遠くまで歩ける」と書いたのです。gorpという愛称は「good old raisins and peanuts」の略だとよく言われますが、この説明はあとから作られたものかもしれません。
出典: Wikipedia, Trail mix (quoting Horace Kephart, Camping and Woodcraft)
チャーハンは残りご飯を使い切る方法として中国で始まり、何世紀も前に中国の商人がインドネシアの島々に伝えました。インドネシアの味にしたのは甘い醤油です。1800年代初めのジャワの書き物にスクル・ゴレンが出てきて、オランダ植民地時代の料理書にもレシピが載りました。2018年、インドネシアはナシゴレンを5つの国民食のひとつに選んでいます。
ナシチャンプルはインドネシア語とマレー語でただ「混ぜご飯」という意味なので、発明者はいません。島々に広がる毎日の食べ方、つまりご飯に別々に作った小さなおかずをいくつも添えるスタイルから生まれ、ガラスケースの中のトレーを指さして選ぶワルンの定番になりました。バリやジャワからマレーシア、シンガポールまで、どの地域にも自分たちの味があります。
ナチョスは1943年、テキサスとの国境のすぐ向こう、メキシコのピエドラス・ネグラスで生まれました。言い伝えでは、アメリカ軍人の妻たちがビクトリー・クラブにやって来たとき料理人が見当たらず、イグナシオ・アナヤが揚げたトルティーヤを三角に切り、チーズとハラペーニョのピクルスをのせて温めたそうです。あだ名がナチョだったので、ナチョズ・スペシャルと名づけました。
ナンはペルシャ語でただパンのことです。デリー・スルタン朝とともに南アジアに伝わり、1300年ごろには詩人アミール・フスローが、貴族が食べる2種類のナンについて書いています。軽くて薄いものと、タンドールで焼く重めのものです。ムガル帝国の時代には宮廷のぜいたく品で、大都市の一般の人々に届いたのは1700年代になってからでした。
イタリアの人々は、じゃがいもが来るずっと前から、小麦粉やパン、セモリナ、さらにはアーモンドの粉で団子を作っていました。じゃがいものニョッキが広まったのは1800年代で、じゃがいもがアメリカ大陸から渡ってきて、貧しい家庭には小麦粉が高かったころです。名前はおそらく、木の節を意味するイタリア語のnocchioから来ていて、そのごつごつした形にちなんでいます。
いま食べているニンジンは、1000年ごろ中央アジアで野生のニンジンから栽培化されたもので、初期のものは紫や黄色でした。1200年代には中国と北西ヨーロッパで育てられていました。オレンジ色のニンジンはもっとあとに西ヨーロッパで生まれ、オランダの農家が大きな役割を果たしました。オラニエ公ウィレムをたたえるためだったという話は人気がありますが、証拠はありません。
ヌテラは、ヘーゼルナッツで知られるイタリア・ピエモンテ州のアルバ生まれです。1946年、菓子職人ピエトロ・フェレロがジャンドゥヨットを売り出しました。ヘーゼルナッツとココアのペーストを固めたもので、チョコレートよりずっと安く、薄く切ってパンにのせて食べました。1951年に塗れるスーパークレーマになり、ヌテラという名前の最初の瓶がアルバの工場から出荷されたのは1964年4月20日です。
アルコールの弱いビールは何世紀も前からありますが、今のようなノンアルコールビールが広まったのはアメリカでした。禁酒法の下では飲み物のアルコールを0.5%未満にしなければならず、醸造所は生き残るためにニアビアを造りました。アンハイザー・ブッシュは1916年にすでにビーボを発売していて、6か月で220万ケース以上を売りました。本物のビールがまた手に入るようになると、ニアビアは一気にすたれました。
パイナップルは熱帯の南米原産で、ヨーロッパの人々が来るずっと前からアメリカ大陸各地で育てられていました。コロンブスは1493年にグアドループ島でこれに出会いました。スペイン人は松かさに似ていることからpiñaと呼び、英語は松かさを指す古い言葉pineappleを借りました。その後ポルトガルの船乗りがセントヘレナ島、アフリカ、インドへ運び、1600年には熱帯のほとんどで育っていました。
ハイネケンの始まりは1864年2月15日。22歳のヘラルト・アドリアーン・ハイネケンが、1592年までさかのぼるアムステルダムの醸造所「デ・ホーイベルフ(干し草の山)」を買い取りました。1886年には、ルイ・パスツールの弟子ハルトッホ・エリオン博士が社内の研究所でハイネケンAイーストを開発し、その酵母はいまもビールに使われています。
植民地時代にフランス人がバゲットをベトナムに持ち込み、バインミーはただ「小麦のパン」という意味です。今のようなサンドイッチの形ができたのは1954年以降のサイゴンです。小さな店バインミー・ホアマーが、短くて安いパンを作り、行列をさばくために、ハムや野菜をお皿ではなくパンの中に挟んだという話があります。戦後、ベトナムから移り住んだ人々がこれを世界中に広めました。
バウンティは1951年、イギリス・スラウのマースで初めて作られ、イギリスとカナダで発売されました。フォレスト・マース・シニアは、イギリスでは売られていなかったアメリカのマウンズ・バー、1936年生まれのココナッツバーをもとにしました。マースはのちの1989年にアメリカでもバウンティを試しましたが、定着しませんでした。
パエリアは、バレンシア近くのアルブフェラ湖のまわりに広がる田んぼの料理です。19世紀半ば、農作業をする人々が昼食に火にかけて作っていました。初期のものはミズハタネズミやウナギ、ライマメを使い、のちにウサギや鶏肉、鴨、ときにはカタツムリが入るようになります。パエリアはバレンシア語でただ鍋のことで、ラテン語のpatellaから来ています。
この二つ折りのパンは刈包(グアバオ)で、中国の福建から台湾に伝わった軽食です。もとは豚の角煮とレタスだけでした。台湾で高菜の漬物、ピーナッツの粉、パクチーが加わります。パンが豚肉に食らいつく口のように見えることから「虎咬豬」とも呼ばれます。2004年ごろ、デヴィッド・チャンがニューヨークのモモフクでメニューに載せ、欧米でのブームが始まりました。
出典: Resy, Pork Buns Have Become an American Favorite. Why Can't We Acknowledge They're Taiwanese?
バクソをインドネシアに持ち込んだのは中国の料理人です。名前はおそらく、だいたい「ひき肉」を意味する福建語のbak soから来ていて、最初は豚肉で作られていました。イスラム教徒の多いインドネシアに広まるにつれて、牛肉や鶏肉、魚の料理になり、オランダ植民地時代の台所もこの肉団子に影響を与えたと考える食の歴史家もいます。
出典: SBS Indonesian, Discovering Chinese Indonesian heritage through food
バゲットを誰が考えたのかはわかっていません。それより前からフランスでは細長いパンが売られていて、1839年にはオーストリアのパン職人アウグスト・ツァンがパリにスチームオーブンを持ち込み、これがぱりっとした皮を作る助けになりました。「小さな棒」を意味するbaguetteという言葉がこのパンに使われたのは1920年からです。ナポレオンが兵士のポケットに入るパンを求めたという話は、何の根拠もない伝説です。
出典: History Hit, French Baguette: How a Humble Stick of Bread Became a Cultural Icon
最初のパスタを作ったのが誰かはわかっていません。マルコ・ポーロが中国から持ち帰ったのではありません。1295年に彼が帰国したとき、イタリア人はすでにパスタを食べていたので、その話は作り話です。1154年、アラブの地理学者イドリーシーは、シチリアの町トラビアで小麦粉をひも状にした食べ物が作られ、日に干して、イタリアのほかの地域やさらに遠くへ船で送られていると書いています。
レシピは、リスボン・ベレン地区のジェロニモス修道院の修道士たちのものです。修道院では卵白で服に糊づけをしていたので、余った卵黄がお菓子に使われました。1834年に修道院が閉じると、レシピは隣の製糖所に売られ、その持ち主たちが1837年にファブリカ・デ・パステイス・デ・ベレンを開きました。いまもそのレシピで焼き続けていて、レシピは秘密の部屋に保管されています。
バターは最古の乳製品のひとつです。紀元前4千年紀の終わり、5,000年以上前のメソポタミアの最初期の文字記録にすでに登場し、デーツと合わせた甘いものに使われたり、軟膏として体に塗られたりしていました。英語のbutterはギリシャ語のboutyronにさかのぼり、牛のチーズという意味のようですが、スキタイ語の言葉を民間で読み替えただけかもしれません。
人は養蜂を始めるずっと前からはちみつを食べていました。スペイン東部ビコルプ近くのクエバス・デ・ラ・アラーニャには、約8,000年前のものとされる岩絵があり、ロープにしがみついて野生の巣からはちみつを採る人の姿が描かれています。はちみつ採りを描いた絵としては最古のものです。ずっとあとになって古代エジプト人がミツバチを飼い、はちみつを遺体の防腐処理にまで使いました。
麺を炒めるのは中国の技法で、中国からの移民がタイに伝えました。1942年、水田が洪水に見舞われると、プレーク・ピブーンソンクラーム首相の政府は代わりに麺を食べるよう国民に呼びかけ、屋台にレシピや屋台車を配りました。歴史家チャティチャイ・ムクソンによれば、タイ風炒めという意味のパッタイという名前が初めて印刷物に出てくるのは、1962年の家庭向けの手引き書です。
人が初めてバナナを育てたのは7,000年以上前のニューギニアで、硬い種がぎっしり詰まった野生種をいくつも掛け合わせました。そこから東南アジアを通ってインドやアフリカへ、ずっと後にはアメリカ大陸へと広がります。遺伝子の研究によると、今のバナナには、まだ誰も見つけていない野生の祖先の痕跡も残っているそうです。
バナナブレッドは1930年代初めのアメリカ生まれです。大恐慌のさなか、誰も茶色くなったバナナを捨てたくなかったうえ、ベーキングパウダーと重曹が安く、どこでも買えるようになったばかりでした。つぶしたバナナを使うレシピは、ピルズベリーやベター・ホームズ・アンド・ガーデンズ、そして大手バナナ輸入会社ユナイテッド・フルーツ社の料理書にすぐにあふれました。
パパイヤが最初に栽培化されたのはメソアメリカ、今のメキシコ南部と中米で、野生のパパイヤは今もそこに生えています。スペインの記録者ゴンサロ・フェルナンデス・デ・オビエドが1500年代初めにパパイヤについて書き、スペイン人はまもなく種をカリブ海一帯へ、さらに旧世界へと運びました。今では熱帯のほぼどこでも育っています。
バビグリンはバリ・ヒンドゥーの儀式から生まれました。丸ごと串焼きにした豚は、寺院の儀礼やガルンガンなどの祭りの供え物のひとつで、捧げた後は祝福として分け合って食べます。グリンは「回す」という意味で、豚を火の上で回して焼くことから来ています。インドネシアの大部分と違い、バリ島はおもにヒンドゥー教徒の島なので、この料理はバリに残りました。
トウガラシの仲間は約6,000年前、メキシコのプエブラ州南部とオアハカ州北部からベラクルスにかけての地域で栽培化されました。コロンブスはカリブ海でこれに出会い、探しに来た黒コショウの一種と思い違いをして「ペッパー」と呼びました。ピーマンやパプリカのような甘くておだやかな品種も、多くの唐辛子と同じ種に属しています。
出典: Smithsonian Affiliations, A plant from the Americas that conquered the world
豚のもも肉を塩漬けにする技術は古くからあります。紀元前160年ごろ、ローマの著述家大カトーがその作り方を書いています。ハムを塩に約12日間埋め、2日間風に当て、さらに2日間燻し、最後に油と酢をすり込めば、虫もウジも寄りつかないというものです。英語のhamはもともと膝の裏を指す言葉で、古英語のhammから来ています。
出典: Cato the Elder, De Agri Cultura 162, LacusCurtius (University of Chicago)
名前は18世紀イギリスの第4代サンドイッチ伯爵ジョン・モンタギューにちなみます。フランスの旅行記に書かれた話では、彼はゲームを続けられるよう、賭けのテーブルに肉とパンを運ばせたそうです。歴史家は、むしろ机で仕事をしながら食べていた可能性が高いと考えています。パンに肉を挟んで食べること自体はずっと前からあり、伯爵は名前を貸しただけなのです。
ハルーミはキプロスのチーズで、1554年ごろ、ヴェネツィアの役人がcalumiという名で初めて書き残しました。東地中海一帯で似たチーズが作られているため、どこで始まったのかはいまも議論が続いています。名前はおそらくアラビア語とコプト語を経て、チーズを表す古代エジプトの言葉にさかのぼります。2021年から、EUはキプロスのものとして保護しています。
パルミジャーノ・レッジャーノは中世、パルマとレッジョ・エミリアのまわりの平野で生まれました。大きくて長持ちするホイール型を作ったのは修道院だとされるのが一般的です。1351年には、ボッカッチョが『デカメロン』の中で、すりおろしたパルメザンの山を冗談の種にしています。パルメザンはパルミジャーノのフランス語形で、「パルマの」という意味にすぎません。
クロワッサンと同じく、ルーツはオーストリアにあります。1839年ごろにパリで開いたアウグスト・ツァンのウィーン風のパン屋はウィーンの菓子パンを売っていて、食の歴史家はその流れをくむチョコレート入りのパンを祖先と見ています。パリではパン・オ・ショコラ、南西部ではショコラティーヌと呼ばれ、この呼び名争いはフランス議会にまで持ち込まれました。
出典: Sortir à Paris, Croissants and pain au chocolat: two pastries that aren't so French after all
パンケーキを発明した人はいません。生地を熱い面で焼く料理はとても古く、古代ギリシャやローマにもすでにありました。イギリスでは1439年の料理書にパンケーキが登場し、四旬節の前に卵や牛乳、バターを使い切る懺悔の火曜日の食べ物でした。言い伝えでは1445年、オルニーの女性がフライパンを持ったまま教会へ走ったそうで、町では今もパンケーキレースが開かれています。
パンナコッタは「火を通したクリーム」という意味で、北イタリアのピエモンテと結びついています。19世紀にランゲの丘に住むハンガリー人の女性が考えたという話もありますが、誰も証明していません。クリーム、砂糖、ゼラチンを合わせた似たものが1879年に「イギリスのミルク」latte ingleseとして活字になり、1960年代にはシェフのエットーレ・ソンジャがクーネオの店でパンナコッタをメニューに載せました。
最初のハンバーガーを誰が作ったのかはわかっていません。名前はドイツの港町ハンブルクを指していて、ブリタニカによると、パティとサンドイッチはおそらく19世紀のドイツ移民がアメリカに持ち込んだものです。バンズに挟んだのは自分だと名乗るアメリカ人は何人もいて、1885年のウィスコンシン州とニューヨーク州のお祭りの屋台から、1900年にニューヘイブンで牛肉のサンドイッチを出したとされるルイス・ラッセンまでさまざまです。
カボチャはアメリカ大陸の植物で、その種は現地で最も古い栽培食物の一つです。メキシコ・オアハカのギラ・ナキツ洞窟で、考古学者たちはカボチャを含む種Cucurbita pepoの栽培種の種を見つけました。約10,000年前のものです。1997年、スミソニアン協会の考古学者ブルース・スミスがこの年代を確かめ、アメリカ大陸の農耕が近東や中国と同じくらい早く始まっていたことを示しました。
出典: Archaeology Magazine (Archaeological Institute of America), Squash seeds from Guilá Naquitz
ピーナッツは南米生まれです。ヴァンダービルト大学のトム・ディルヘイ率いる考古学者たちが、ペルー北部のニャンチョク谷にある住居の床やかまど跡から、約7,600年前のピーナッツの痕跡を見つけました。ピーナッツはそこには自生していなかったので、どこかほかの場所で先に栽培化され、商人や移動する農民が持ち込んだはずです。
出典: Vanderbilt University News, Early farming sowed seeds of massive change (study in Science, 2007)
M&M'sは、フォレスト・マース・シニアと、ハーシーの社長の息子ブルース・マリーが生み出したもので、二つのMは二人の名字の頭文字です。プレーンは1941年にアメリカで発売され、ピーナッツ入りは1954年に続きました。最初は薄茶色だけでした。フォレスト・マース本人はピーナッツアレルギーだったと言われています。
アステカやインカの人々は、すでに炒ったピーナッツをすりつぶしてペーストにしていました。ピーナッツバターの最初の特許は1884年、モントリオールのマーセラス・ギルモア・エドソンが取得しています。1895年にはシリアルで知られるジョン・ハーヴェイ・ケロッグ医師も、かむのが難しい人のためのタンパク源として独自の特許を取りました。よく言われる話とは違い、ジョージ・ワシントン・カーヴァーが発明したわけではありません。
肉を細く切って日差しと風で乾かす知恵は、文字の記録よりも古いものです。ただ名前はアンデスから来ています。ケチュア語のch'arkiは干し肉を指し、リャマの肉が多かったそうです。スペイン人がそれをcharquiと呼び、1850年ごろアメリカ英語でjerkyになりました。アメリカでは牛肉が定番になりました。
ルンダンは西スマトラのミナンカバウの人々の料理で、彼らはランダンと呼びます。ココナッツミルクを水分がなくなるまでじっくり煮るという意味のマランダンから来ています。古い文字記録が少なく、いつ始まったのかは正確にはわかりません。旅をするミナンカバウの商人が何週間も持つ食べ物を必要としていたという説があり、インドやアラブからの移住者のスパイスが味を形づくりました。2011年のCNNの投票では、世界でいちばんおいしい料理に選ばれています。
人はオーブンでパンを焼くよりずっと前からビールを造っていました。イスラエルのラケフェト洞窟で、スタンフォード大学の考古学者リー・リウ率いるチームが、約1万3,000年前の小麦か大麦のビールの痕跡を見つけています。おそらく死者をたたえる宴のためのものでした。痕跡はパン作りのものかもしれないと考える考古学者もいて、議論はまだ続いています。
物語をすべて読む · 出典: Stanford University News, An ancient thirst for beer may have inspired agriculture
言葉は、「宴」を意味する古いスラヴ語の語根pirから来ています。具を包んだ団子はおそらく中国で始まり、中世にヨーロッパへ広がりました。13世紀に聖ヒヤシンスがピエロギをポーランドに持ち込み、飢えた人々に食べさせたという話が伝わっていますが、中世に書かれた彼の伝記にはまったく出てきません。最古の文字のレシピは、1682年のポーランド初の料理書にあります。
衣をつけて揚げたバナナは東南アジアのどこでも食べられていて、発明者はわかっていません。バナナはこの地域の原産ですが、ほとんど生で食べられていて、衣をつけて揚げる習慣はおそらく1500年代にポルトガル人とともにやって来ました。彼らは小麦粉や揚げ物の新しい使い方を持ち込んだからです。ゴレンはインドネシア語とマレー語でただ「揚げた」という意味です。
ピスタチオは中央アジア南部の乾いた丘陵、イラン北部やアフガニスタン北部にまで続く野生の分布域から来ていて、研究者はそこで最初に栽培されたと考えています。少なくとも2,000年前、あるいはその数世紀前に、いまのシリアの山地まで西へ広がりました。原産地の外では長い間めずらしいままで、広く栽培されるようになったのはおそらくここ数世紀のことです。
ダークチョコレートの歴史はカカオそのものにさかのぼり、カカオは考えられていたより古いものでした。土器に残った成分から、エクアドルのアマゾンに住んでいたマヨ・チンチペの人々が約5,300年前にカカオを使っていたことがわかりました。手がかりはデンプン粒、テオブロミン、古代DNAです。長く最初とされてきたメキシコや中米のオルメカやマヤが有名なカカオ飲料を作り始めたのは、それから約1,500年後のことでした。
出典: Science News, Ancient South Americans first domesticated chocolate
ビッグマックを生み出したのは、ピッツバーグ周辺でマクドナルドを経営していたジム・デリガッティです。1967年4月22日、ペンシルベニア州ユニオンタウンの彼の店で初めて売られました。最初はアリストクラットやブルーリボン・バーガーという名前で売れませんでした。マクドナルドは、ビッグマックという名前を考えたのは21歳の広告部の秘書エスター・グリックスタイン・ローズだとしていますが、デリガッティの家族はこれに異を唱えています。
プエルトリコ、サンフアンのカリベ・ヒルトンは、1954年にバーテンダーのラモン・モンチート・マレーロがピニャコラーダを生み出したとしています。ラム、ココナッツクリーム、パイナップルジュースを3か月試した末のことでした。プエルトリコのほかのバーテンダーも名乗りを上げているので、この話には異論があります。いずれにしても、1978年からプエルトリコの公式の飲み物です。
ビビンバは韓国語で混ぜご飯という意味で、どこで始まったのかは正確にはわかっていません。旧正月に家庭で残り物を混ぜたという説、祖先の祭祀に供えた料理から来たという説、農民が収穫のときに食べたという説があります。知られている最初のレシピは、1800年代後半の料理書『是議全書』にブッビンバプとして載っているもの。全州市が本場を名乗っています。
ヒマワリは北米で始まった数少ない食用作物の一つで、先住民の人々が野生の植物から、食べられる種がぎっしり詰まった大きな花を一つつける背の高い品種を育て上げました。本格的に広まったのはロシアです。正教会が四旬節の間バターやラードを禁じたのに、ヒマワリ油はそのリストに入っていなかったのです。のちにソ連の育種家たちが、種に含まれる油をほぼ半分も増やしました。
出典: NPR, The Salt: How The Russians Saved America's Sunflower
ひよこ豆は約1万年前、いまのトルコ南東部で栽培化されました。野生の祖先Cicer reticulatumが今も生えている、ごく狭い地域です。小麦、大麦、レンズ豆、エンドウ豆とともに肥沃な三日月地帯の最初の農耕の波の一員で、そこから東はインドへ、西は地中海沿岸へと広がりました。
出典: PLoS ONE via PubMed Central, Genetic Relationship in Cicer Sp. (Hebrew University of Jerusalem)
ビリヤニはペルシャ起源で、名前は炒めたご飯を意味するペルシャ語のビリンジ・ビルヤンにさかのぼります。米を肉やスパイスと重ねる前に、ギーで炒めるからです。インドで最初に記録されたのは南部のデカン地方で、商人が海路で持ち込んだことをうかがわせます。それ以来ほとんどの地方が独自のビリヤニを作り、スリランカ、マレーシア、タイ、オマーンへも伝わりました。
ファヒータの始まりは1930年代、テキサス南部と西部の牧場です。メキシコ人のバケーロ(カウボーイ)が給料の一部として安いハラミをもらい、たき火で焼いていました。名前はスペイン語で帯や細長いものを意味するfajaから来ていて、肉の形にちなんでいます。1969年、ソニー・ファルコンがテキサス州の小さな町カイルのお祭りで、知られている最初のファヒータのタコス屋台を出しました。
ファラフェルはおそらくエジプト生まれで、エジプトではターメイヤと呼ばれ、そら豆で作られます。ただ、いつ始まったのかは正確にはわかっていません。四旬節にコプト派のキリスト教徒が食べていたのが始まりという有名な話がありますが、最初の文字記録は19世紀のものしかありません。アレクサンドリアの港から中東全体に広まりました。名前はこしょうを意味するアラビア語filfilの複数形です。
揚げた魚は、スペインやポルトガル、のちには東欧から来たユダヤ系移民とともにイギリスに伝わりました。彼らは魚に粉をまぶし、ポルトガル風に揚げていました。1838年、ディケンズは『オリバー・ツイスト』の中で揚げ魚の倉庫に触れています。魚とチップスは何年も別々に売られていて、組み合わせたのは1860年ごろロンドン・イーストエンドのジョセフ・マリンの店と、1863年ランカシャー州モスリーのジョン・リーズの店でした。
プーティンは1950年代終わりのケベックの田舎で生まれ、発祥を名乗る町はひとつではありません。ウォリックのフェルナン・ラシャンスは、1957年に常連客からフライドポテトにチーズカードをのせてほしいと頼まれたと言い、ドラモンヴィルのジャン=ポール・ロワは、1964年に自分のドライブインで考えたと言っています。ケベックの俗語でプーティンは「ごちゃごちゃ」という意味で、おそらく英語のプディングから来ています。
フェタはギリシャのチーズです。羊飼いたちは何千年も前から、羊や山羊の乳で塩水漬けの白いチーズを作ってきました。ホメロスの『オデュッセイア』では、一つ目の巨人ポリュペモスが羊乳のチーズを作っていて、これがおそらく先祖にあたります。名前のほうは新しく、イタリア語で「ひと切れ」を意味するfettaから来たと考えられています。2002年からEUでは、ギリシャの一部の地域で作られたものだけがフェタを名乗れます。
ミケーレ・フェレロが1982年にフェレロ・ロシェを売り出しました。Rocherはフランス語で「岩」。ベルナデットが聖母マリアの出現を語ったルルドの洞窟、マサビエルの岩にちなんで名づけたという話が伝わっています。フェレロは毎年ルルドを訪れる敬虔なカトリック信者で、ごつごつした形はその岩を思わせるものだと言われています。
出典: Aleteia, How Ferrero Rocher chocolates were inspired by the Virgin Mary
フォーは19世紀後半、ベトナムがフランスの植民地だったころ、ハノイ近くの北部に現れました。多くの食の歴史家は、フランス人がずっと多く食べていた牛肉を、村人たちが地元の麺スープに加えたのだと考えています。名前はポトフのフランス語feuから来ているのかもしれませんが、平たい米の麺を指す中国語のfenから来ている可能性も同じくらいあります。
ブドウは人が最初に栽培した果物の一つです。2023年に約2,500本のブドウの木を調べた研究で、約11,000年前のほぼ同じ時期に2回栽培化されていたことがわかりました。1回は西アジア、もう1回はコーカサスです。西アジアのブドウは初期の農民とともにヨーロッパへ渡り、いまそこで育てられている多くのワイン用ブドウのもとになっています。
出典: Science, Dual domestications and origin of traits in grapevine evolution (2023), PubMed
フムスはアラビア語でただひよこ豆のこと。正式にはフムス・ビ・タヒーナ、タヒニを合わせたひよこ豆という意味です。これに近い料理の最古のレシピは13世紀のカイロの料理書にありますが、タヒニもにんにくも入っていませんでした。いま食べられている形は18世紀のダマスカスでできあがったと歴史家は考えています。英語の辞書にこの言葉が載ったのは1950年代になってからです。
南部のフライドチキンは西アフリカの料理から生まれ、焼いたりゆでたりするより揚げるのを好んだスコットランド系の入植者の影響もあったのかもしれません。それを完成させたのは奴隷にされていた料理人たちでした。アメリカで最初のレシピは1820年代、メアリー・ランドルフの『ヴァージニアの主婦』に載ったものです。のちにヴァージニア州ゴードンズビルでは、黒人女性たちがホームから列車の乗客に直接フライドチキンを売っていました。
フライドポテトはベルギーとフランスの両方が本家を名乗っています。ベルギーには、1680年代にムーズ川が凍って魚が捕れなかったとき、村人が細切りのじゃがいもを揚げたという話があります。歴史家ピエール・ルクレールは、じゃがいもがその地域に届いたのは1735年ごろだと指摘し、切ったじゃがいもを揚げるのはパリで始まったのかもしれないと考えています。1700年代の終わりには、ポンヌフ橋の上で売られていました。
物語をすべて読む · 出典: The Brussels Times, Fry me a river: the sizzling debate on the origin of Belgian fries
言い伝えでは、ブラウニーは1893年にシカゴのパーマーハウス・ホテルで作られました。万国博覧会のお弁当箱に入る小さなケーキを、とバーサ・パーマーが頼んだのがきっかけだというのです。ただ歴史家は、その年の記録を見つけられていません。1896年のファニー・ファーマーのブラウニーはチョコレートをまったく使わない糖蜜ケーキで、チョコレートのブラウニーのレシピがアメリカの料理書に現れ始めるのは1899年から1904年ごろです。
出典: Wikipedia, Chocolate brownie (citing The Oxford Encyclopedia of Food and Drink in America)
黒豆(ブラックビーンズ)はインゲンマメの一品種で、アメリカ大陸の植物です。遺伝子の研究によると、栽培化は2回、別々に起きました。1回はメキシコで、おそらくオアハカ盆地、もう1回はアンデスです。現地の農家はトウモロコシやカボチャと一緒に何千年も豆を育ててきて、ヨーロッパの人々がこの豆を知ったのはコロンブス以降のことでした。
フラットホワイトは、オーストラリアとニュージーランドの両方が自分たちの発祥だと主張しています。1983年にシドニーのカフェのレビューで取り上げられ、1985年にはアラン・プレストンがシドニーのムーアズ・エスプレッソバーの定番メニューに加えました。ウェリントンは、1989年にバー・ボデガで、泡立たなかったカプチーノから生まれたと言っています。この論争は決着していません。
フラペチーノはシアトルではなくボストンで生まれました。1992年、ジョージ・ハウエルのカフェチェーン「コーヒー・コネクション」が夏の売れ筋を求め、マーケティング担当のアンドリュー・フランクが、コーヒー、砂糖、牛乳、氷をフローズンヨーグルトのマシンで混ぜました。名前は、ニューイングランドでミルクシェイクを指すフラッペと、カプチーノを合わせたものです。スターバックスは1994年にこのチェーンを買い、1995年に自社版を発売しました。
ヨーロッパの一般的なプラムは、おそらくコーカサスとカスピ海周辺で生まれ、少なくとも2,000年前から栽培されてきました。いま生で売られることの多い日本スモモ(プラム)は、何千年も前に中国で栽培化され、日本でさらに改良されたものです。ダムソンは早くからダマスカス周辺で育てられていたことと結びついていて、名前もそこから来ています。
ブリーの名は、パリの東にあるブリー地方から来ています。この地方の農家で作られるブリー・ド・モーとブリー・ド・ムランは、いまも特に高く評価されています。774年ごろシャルルマーニュが修道院で味わったとか、1815年のウィーン会議で外交官たちが「チーズの王」と称えたという話が伝わっています。どちらもよく語られますが、確かめるのは難しいものです。
ブリトーはおそらくメキシコ北部のソノラ生まれです。小麦と牛の産地で、小麦粉のトルティーヤと牛肉が当たり前の土地でした。ブリトーは小さなロバという意味で、1895年にはすでにメキシコのスペイン語辞典に載っていました。旅人がロバにくくりつけた寝具に似ていたからという説もあれば、売り子がロバに載せたかごで売っていたからという説もあります。1930年代にメキシコからの移民がロサンゼルスに持ち込みました。
プリングルズはオハイオ州シンシナティのプロクター・アンド・ギャンブルが開発し、1968年に発売しました。筒型の容器を設計したのは化学者のフレドリック・バウアーで、彼はこれをとても誇りに思っていたため、2008年に遺灰の一部がプリングルズの缶に納められて埋葬されました。P&Gによると、名前はシンシナティの電話帳から、フィニータウンのプリングル・アベニューにちなんで選ばれたそうですが、ほかの説も出回っています。
ハルシュキは、スロバキアの山の羊飼いたちにさかのぼります。彼らには、たき火で作れてお腹にたまる食事が必要でした。酸味のある羊のチーズ、ブリンザは、14世紀から17世紀にかけてカルパティア山脈に住みついたワラキアの牧人たちが持ち込んだものです。1787年、ヤーン・ヴァガーチがデトヴァにブリンザの工房を開いてチーズを樽詰めにし、ウィーンやブダペストまで運べるようにしました。
ブルーベリーは北米原産で、何千年も野生のものが摘まれてきました。栽培はニュージャージーで始まりました。アメリカ農務省の植物学者フレデリック・コヴィルが、クランベリー農家のエリザベス・ホワイトと一緒に品種改良を進めたのです。ホワイトは地元の摘み手たちに、いちばん良い野生の株に目印をつけてもらっていました。1916年、ホワイツボグで初めての栽培ブルーベリーが市場に出ました。作物としてはまだ100年ほどの果物です。
出典: New Jersey Agricultural Society, The beginning of blueberry farming: the story of Whitesbog
プルドポークはアメリカ南部のバーベキューから生まれました。言葉のもとはbarbacoaで、カリブ海のタイノ族が肉を焼いた木の台をスペイン人がそう呼びました。そして1540年ごろ、エルナンド・デ・ソトがアメリカ南部に豚を連れてきます。カロライナでは、豚を丸ごとや肩肉で炭火にかけてじっくり焼くのが、誰かがプルドポークと呼ぶよりずっと前から伝統になっていました。
出典: The Lexington Collection (ibiblio, University of North Carolina), Origins of barbecue
ブレクはトルコのボレキから来ています。具を包んだり重ねたりするパイの仲間で、テュルク系の人々が中央アジアから西へ持ち込みました。オスマン帝国の宮廷の厨房でごちそうになり、5世紀にわたるオスマンの支配でバルカン半島全体に広まって、いまはどの国にも自分たちのブレクがあります。名前はおそらく古いテュルク語にさかのぼりますが、言語学者の間ではいまも議論があります。
最初のブレッツェルを誰がねじったのかは、はっきりわかっていません。中世の修道士が残った生地を、祈りのために腕を組んだ子どもの形にしたという話が有名で、名前はラテン語の「腕」から来ているのかもしれません。この話は証明できませんが、12世紀には、この結び目はすでに南ドイツのパン屋の看板になっていました。つやのある茶色い皮を作るラウゲン液にくぐらせる方法は、ドイツの習慣です。
物語をすべて読む · 出典: Smithsonian Magazine, Pretzels for Oktoberfest
フレンチトーストはフランスよりも古い料理です。アピキウスの作とされる4世紀ごろのローマの料理書には、すでに白いパンを牛乳と溶き卵にひたし、油で焼いて、はちみつをかけるレシピがあります。フランスではパン・ペルデュ、「失われたパン」と呼ばれ、おそらく固くなったパンを使い切るためです。英語のFrench toastという名前は1660年に初めて記録されていて、なぜフレンチと呼ばれたのかははっきりしません。
出典: Smithsonian Magazine, There Are Many Names for French Toast
フローズンヨーグルトは1970年代初めにアメリカで生まれました。ニューイングランドの乳製品会社H.P.フッドが、アイスクリームより脂肪の少ないソフトクリーム風デザート「フローグルト」として売り出しました。最初は酸っぱすぎると感じた人が多く、1980年代に甘めのレシピと、TCBYのようなチェーン店が出てきて、ようやく大ブームになりました。
プロセッコの名前は、イタリア北東部トリエステ近くの村から来ています。1593年、イギリスの旅行家ファインズ・モリソンが、かつてプキヌムと呼ばれ、ローマの著述家プリニウスが称えた地元のワインで、いまはプロセコと呼ばれていると書き残しました。2009年からブドウ自体はグレーラと呼ばれているので、プロセッコはブドウではなく土地の名前なのです。
ブロッコリーは東地中海と小アジアから来ていて、イタリアではローマ時代から育てられてきました。名前はイタリア語で、broccoliは「キャベツの芽」を意味するbroccoloの複数形、もとは「芽」を指すbroccoです。1700年代にイギリスとアメリカに伝わりましたが、アメリカで一般的になったのは、1920年代にイタリア系移民のダリーゴ兄弟がカリフォルニアで栽培を始めてからでした。
プロテインパウダーがアメリカで広まったのは1952年、ヨーク・バーベルの重量挙げプロモーター、ボブ・ホフマンが大豆の粉を売り出したときでした。のちにハイプロティーンと呼ばれる商品です。広告では有名な食品研究所をうたっていましたが、元編集者は、ホフマンが溶かしたチョコレートに大豆粉をカヌーのパドルで混ぜているのを見たと語っています。いまよく飲まれるホエイのシェイクはもっとあとに登場しました。
プロテインバーの祖先は宇宙とつながっています。ピルズベリーの食品科学者ハワード・バウマンのチームは、1962年にNASAの宇宙飛行士が初めて食べた固形食を作りました。そのバウマンが1960年代後半に生み出したのがスペース・フード・スティック。タンパク質、炭水化物、脂質のバランスをとった、かみごたえのある棒状のおやつで、アポロ計画の人気に乗って売られました。いまのエナジーバーやプロテインバーの先駆けとされています。
鍋でじっくり焼いた豆はアメリカ先住民の料理にさかのぼり、糖蜜で煮たベイクドビーンズのおかげで、ボストンは「ビーンタウン」というあだ名がつきました。缶詰のものがイギリスに届いたのは1886年で、ヘンリー・J・ハインツがロンドンのフォートナム・アンド・メイソンにサンプルを持ち込み、店が買い取って高級品として売りました。ハインツはやがて、イギリス人の好みに合わせてソースの甘さを控えめにしました。
ベイリーズはアイルランドではなくロンドンで生まれました。1973年、飲料コンサルタントのデヴィッド・グルックマンとヒュー・シーモア=デイヴィスが、ギルビーズ・オブ・アイルランドの依頼を受けて、ジェムソンのウイスキー、クリーム、キャドバリーのココアを混ぜました。1974年に最初のアイリッシュクリームとして発売されています。名前は、ソーホーにあった彼らの事務所の下のレストラン、ベイリーズ・ビストロから取りました。
ベーグルが初めて文書に登場するのは1610年、ポーランドのクラクフです。男の子の誕生祝いをどこまで豪華にしてよいかを定めた、ユダヤ人共同体の決まりの中に出てきます。焼く前に生地をゆでるのが、ほかのパンとの違いでした。名前はおそらくイディッシュ語で「曲げる」を意味するbeigenから。1683年のウィーンのパン職人にまつわる有名な話は、この最初の記録よりあとのものです。
豚肉を塩漬けにして燻すのは肉を長持ちさせる昔ながらの方法なので、ベーコンにひとりの発明者はいません。言葉は14世紀初めに古フランス語のbaconから英語に入りました。さかのぼると背中の肉を指す古いゲルマン語で、豚の背中や脇腹から切り出していたからです。bring home the baconという言い回しは1906年から記録があり、おそらく最初はボクシングの俗語でした。
ペリメニはウラルとシベリアから来ています。名前はコミ語とウドムルト語から借りたもので、「耳のパン」という意味。折りたたんだ、耳のような形にちなんでいます。研究者たちは、これらの民族が中世にはすでに作っていたと考えていますが、モンゴル人を通じて中国の餃子から伝わったという意見もあります。1840年代には、ロシアの料理書にシベリア風ペリメニのレシピが載りました。
出典: N. I. Shutova, Etnograficheskoe obozrenie (Russian Academy of Sciences), 2018
ほうれん草はペルシャ、いまのイランの野菜で、そこではisfanakhと呼ばれ、これが英語の名前のもとになりました。7世紀までに中国に伝わり、その約400年後にムーア人がスペインへ持ち込みました。カトリーヌ・ド・メディシスがほうれん草を大好きだったので、ほうれん草を使った料理はいまも彼女の故郷にちなんで「フロランティーヌ(フィレンツェ風)」と呼ばれる、という話が伝わっています。
出典: National Geographic, Spinach: a vegetable in need of some love
ホエイは牛乳を固めてチーズを作るときに残る液体なので、チーズ作りと同じくらい古いものです。長い間、チーズ職人たちは使い道がわからず、家畜に与えたり捨てたりしていました。乳業界がこれをいまの容器に入ったプロテインパウダーとして売り始めたのは、2000年代初めごろになってからです。
出典: Texas A&M AgriLife Today, From cheese byproduct to protein supplement
ポークチョップはすべてイノシシにさかのぼり、人はイノシシを一度ならず家畜にしました。中国では最初の家畜の豚が約1万年前にさかのぼり、今の品種まで途切れずにつながっています。近東でも豚が家畜化され、ヨーロッパ最初の豚はそこから来ましたが、のちに地元のイノシシから育てた豚に置き換わりました。
出典: ScienceDaily, Chinese pigs descendants of first domesticated (Durham University, 2010)
ポケはハワイ語で、生魚を横向きに切り分けることを意味します。ハワイの先住民は、塩や炒ったククイナッツ、海藻で味つけした新鮮な生魚を大切にしていて、1700年代後半にはクック船長の船医が生魚を食べる様子を目にしています。醤油やごま、下に敷くご飯が加わったのはずっとあとで、ハワイに移り住んだ日本、中国、韓国の家族がもたらしたものです。
メソアメリカの人々は3,000年以上前からチョコレートを飲んでいて、始まりはオルメカでした。マヤの人々は濃く泡立てて、ときにはチリを入れて飲み、ショコラトルと呼んだアステカの人々はカカオ豆を金より大切にしていました。のちにヨーロッパの人々がサトウキビの砂糖とシナモンで甘くし、ロンドンやアムステルダムのおしゃれなチョコレートハウスで飲むようになります。
このソーセージはフランクフルトとウィーンの両方が自分のものだと主張していて、だからフランクフルターともウインナーとも呼ばれます。1860年代にドイツからの移民がニューヨークに持ち込み、ダックスフント・ソーセージとして売られました。ホットドッグという名前は1884年には印刷物に登場しています。1871年、ドイツ系移民のチャールズ・フェルトマンがコニーアイランドに屋台を開き、ホットドッグは行楽の定番として定着しました。
人はとても昔からワインを温め、スパイスを加えてきました。ローマ人はすでにワインにはちみつとスパイスで風味をつけていて、中世ヨーロッパでは、ヒハツ、しょうが、シナモンで作る甘いスパイスワイン、イポクラスが薬も兼ねて飲まれていました。その名前はおそらくギリシャの医者ヒポクラテスに由来します。ドイツ語のグリューワインは、ただ「赤く輝くワイン」という意味です。
ポップコーンは映画館よりはるかに古い食べ物です。トウモロコシはメキシコで約9,000年前、テオシントという野生の草から栽培化されました。ペルー北部の海岸にあるパレドネスとワカ・プリエタで見つかった穂軸から、人々が少なくとも6,700年前にはポップコーンを食べていたことがわかっています。土器を作るようになるより前のことでした。
出典: Smithsonian Newsdesk, Ancient Popcorn Discovered in Peru
じゃがいもが南米からヨーロッパに届いたのは1500年代で、ポテトサラダはおもにドイツとオーストリアで育ちました。知られている最古のレシピは、オーストリアのザイテンシュテッテン修道院長カスパー・プラウツによる1621年の著作にあります。南では酢と油で温かいまま和え、北ではマヨネーズを加えるようになり、ドイツからの移民がどちらのスタイルもアメリカに持ち込みました。
有名な話では、1853年にニューヨーク州サラトガ・スプリングスのムーンズ・レイク・ハウスで、シェフのジョージ・クラムがポテトチップスを発明したとされます。揚げたじゃがいもが厚すぎると突き返した客への当てつけだったというのです。歴史家はこれを疑っています。1817年にはイギリスの医師ウィリアム・キッチナーが、薄く削って揚げたじゃがいものレシピを出版していました。とはいえ広めるのにクラムが一役買ったのは確かで、アメリカではサラトガ・チップスとして売られました。
物語をすべて読む · 出典: Smithsonian Magazine, The Curious History of the Potato Chip
名前は、古いスラヴ語でハナウドを指すborshchから来ています。最初のスープはこの野草で作られていました。何世紀もかけてほかの野菜がその座を奪い、ウクライナではビーツが主役になって、あの深い赤色が生まれました。2022年、ユネスコはウクライナのボルシチ料理の文化を「緊急に保護する必要がある無形文化遺産」のリストに加えました。
出典: Smithsonian Center for Folklife and Cultural Heritage, A Brief History of Borshch
ポン・デ・ケージョはブラジル南東部のミナスジェライス州から来ていて、18世紀にさかのぼります。そこの農園で、奴隷とされたアフリカの人々が、キャッサバのでんぷんであるポルヴィーリョでパンを焼きました。キャッサバの使い方は先住民から学んだものです。のちに奴隷制が終わってミナスが酪農の地になると、卵、牛乳、ミナスチーズが生地に加わり、いま知られているチーズパンが生まれました。
マーズバーは1932年、イギリスのスラウで生まれました。アメリカの菓子メーカー、フランク・マースの息子フォレスト・マースが、そこに自分の小さな工場を構えたのです。父のミルキーウェイ・バーをもとに、イギリス人の好みに合わせてレシピを調整しました。スラウの工場は、それから100年近くたったいまもマーズバーを作っています。
出典: Mars, Mars invests £190 million in its historic UK chocolate factory
パスタをバターとチーズと重ねたメイクラウンズという料理が、1390年ごろにイングランド王リチャード2世の料理長たちがまとめた料理書『フォーム・オブ・キュリー』に載っています。アメリカではトーマス・ジェファーソンの食卓に出されましたが、実際に料理していたのは奴隷にされていた料理人ジェームズ・ヘミングスでした。1937年にクラフトの箱入りが登場し、毎日の夕食の定番になりました。
卵白で作るアーモンド菓子は中世からイタリアとフランスにあり、名前はおそらく「細かいペースト」を意味するイタリア語のmaccaroneから来ています。カトリーヌ・ド・メディシスが1533年の結婚のときにマカロンをフランスに持ち込んだという話はすてきですが、記録には残っていません。クリームをはさんだ二枚重ねのマカロンを20世紀のパリで有名にしたのは、ラデュレのピエール・デフォンテーヌです。
チーズバーガーは1948年からマクドナルドのメニューにあります。この年、リチャードとモーリスのマクドナルド兄弟は、9品のメニューと素早い「スピーディー・サービス・システム」でカリフォルニア州サンバーナーディーノの店を再出発させました。ハンバーガーは15セント、チーズバーガーは19セントでした。ハンバーガーに最初にチーズをのせたのが誰かは、はっきりしていません。1920年代から30年代のアメリカの料理人が何人も、その功績を挙げられています。
1948年、リチャードとモーリスのマクドナルド兄弟がカリフォルニア州サンバーナーディーノの店のメニューを9品に絞ったとき、サイドはポテトチップスでした。1949年、それに代わってフライドポテトが登場します。何十年もの間、牛脂が中心の油で揚げられていましたが、飽和脂肪に反対する長い世論の運動を受けて、1990年にマクドナルドは植物油に切り替えました。
出典: Food Republic, The Greasy, Glorious History Of The McDonald's Fry
名前は実在する植物、ウスベニタチアオイ(マーシュマロウ)から来ています。その粘りのある根は、古代ギリシャの医師たちが薬として使っていました。お菓子としてのマシュマロは1800年代半ばのフランスで生まれ、のど飴とボンボンの中間のようなものでした。根の汁を卵と砂糖と一緒に泡立てて作っていたのです。のちに根はゼラチンに置き換えられ、作りやすくなったうえに、ふんわり弾む食感が生まれました。
じゃがいもは何千年も前にペルーとボリビア北西部のアンデスで栽培化され、16世紀にスペインの探検家とともにヨーロッパに届きました。マッシュポテトのもっとも古いレシピのひとつは、1747年のハナ・グラスのイギリスの料理書『ジ・アート・オブ・クッカリー』にあります。じゃがいもをゆでて皮をむき、牛乳、塩、バターとつぶす、というものです。最初にじゃがいもをつぶしたのが誰かは、誰も知りません。
人は何千年も野生のキノコを採ってきましたが、白いマッシュルームが栽培作物になったのはフランスでのことです。17世紀、ルイ14世がこれを好んだことで、パリ近郊の農家が栽培を始めました。のちに彼らは堆肥の苗床を街の地下にある古い石切り場へ移し、一年中涼しさが変わらないおかげで通年収穫できるようになりました。1880年には、パリに300以上のマッシュルーム農場がありました。
出典: France Today, Champignons de Paris: the famous mushroom and their city farmers
muffinという言葉が英語に初めて出てくるのは1703年で、つづりはmoofinでした。おそらく小さなお菓子を意味する低地ドイツ語のmuffenから来ています。もともとのイングリッシュマフィンは、鉄板で焼く平たいイーストのパンです。カフェで見かける背の高いケーキのようなマフィンはアメリカ版で、イーストではなく重曹やベーキングパウダーでふくらませるクイックブレッドです。
マヨネーズの名前の由来は、はっきりとはわかっていません。いちばん有名な説は、1756年にリシュリュー公がメノルカ島のマオンを攻略したことに結びつけて、マオネーズになったというもの。ほかにも卵黄を意味する古フランス語のmoyeuや、混ぜるという意味のmanierから来たという説があり、有名なシェフのカレームは後者を支持していました。確かなのは、フランス料理を代表する冷たいソースになったことです。
マルガリータを考えたのが誰なのか、確かなことはわかっていません。有名な話では、1938年ごろ、カルロス・ダニー・ヘレーラがティフアナ近くの自分の店ランチョ・ラ・グロリアで、テキーラしか飲めないマージョリー・キングという客のために作ったとされます。ダラスの社交界の名士マルガリータ・セイムズは1948年にアカプルコで自分が作ったと語っていましたが、1945年にはすでにホセ・クエルボの広告がこの名前を使っていました。
具をのせた平たいパンは大昔からありますが、今のピザの形ができたのは1700年代のナポリで、働く人たちに路上で安く売られていました。1889年、ラファエレ・エスポジトがマルゲリータ王妃のために赤、白、緑のピザを作り、王妃の名をつけたという話があります。ただ歴史家は疑っています。同じ具のピザは、その何十年も前からナポリで売られていたからです。
物語をすべて読む · 出典: National Geographic, Pizza Margherita may be fit for a queen, but was it really named after one?
マンゴーは南アジアの果物で、何千年も前から、特にインドで育てられてきました。言葉は1580年代にポルトガルの商人を通じて英語に入りました。彼らのmangaは、マレー語のmanggaとタミル語のmankayから来ていて、mankayはマンゴーの木を意味するmanと、果実を意味するkayを合わせたものです。1793年、バウンティ号で知られるブライ船長が、マンゴーの木をティモールからジャマイカとセントビンセントの庭園へ運びました。
ミーゴレンは、中国からの移民がインドネシアに持ち込んだ焼きそばから生まれました。チャーメンとよく似た料理です。ゴレンはインドネシア語でただ揚げる、炒めるという意味。地元の料理人たちが甘い醤油やサンバル、揚げたエシャロットで自分たちの味にし、豚肉を鶏肉やエビに替えました。有名なインスタントのインドミー・ミーゴレン味はヌヌック・ヌライニが生み出したもので、いまでは世界中で売られています。
2018年、スウェーデンの公式Twitterアカウントが、スウェーデンのミートボールは1700年代初めにカール12世がオスマン帝国から持ち帰ったレシピがもとだと投稿しました。食の歴史家たちは反論しました。frikadellerと呼ばれるミートボールは、彼の滞在よりずっと前の1650年にスウェーデンの文献に登場し、köttbullarという言葉も1755年ごろに現れるからです。ミートボールは多くの国で古くからあり、発明者の名前は挙げられません。
出典: The Local Sweden, food historian Richard Tellström on köttbullar
味噌のもとは中国の発酵調味料で、日本では醤(ひしお)と呼ばれ、7世紀ごろに伝わりました。味噌汁が生まれたのはもっと後の鎌倉時代(1185年から1333年)で、中国から来たすり鉢のおかげで、粒の残る味噌をお湯に溶けるほどなめらかにすれるようになりました。その後、武士たちは一汁一菜という食事で毎日味噌汁を口にしました。
出典: Kikkoman Institute for International Food Culture, FOOD CULTURE No. 3: Miso
ミューズリーは1900年ごろ、スイスの医師マクシミリアン・ビルヒャー=ベンナーが、チューリッヒの自分のクリニックの患者のために考えたものです。彼は生の食べ物に癒やす力があると信じていました。最初のレシピは、水に浸したオーツ麦にレモン汁、練乳、すりおろしたリンゴ、ナッツを合わせたもの。アルプスをハイキングしたときに出された料理から思いついたと言われています。Müesliはスイスドイツ語で「ちょっとしたどろどろのもの」という意味です。
出典: SWI swissinfo.ch, Muesli celebrates a century of good health
ミルカは1901年、スイスのチョコレート職人フィリップ・スシャールの娘婿カール・ルス=スシャールが発売しました。名前はドイツ語のMilch(ミルク)とKakao(ココア)をつなげたものです。ライラック色の包み紙は最初の一枚から使われていて、ライラック色の牛がブランドの顔になるのは何十年もあとのことでした。
1885年にミルクシェイクという言葉が初めて印刷物に出てきたときは、別のものを指していました。卵とウイスキーで作るエッグノッグ風の栄養ドリンクです。1900年にはチョコレートやいちご、バニラのシロップを入れた飲み物を意味するようになります。そして1922年、シカゴのドラッグストアチェーン、ウォルグリーンのアイヴァー・ポップ・コールソンが、モルトミルクにバニラアイスを2すくい加え、濃厚なシェイクが誕生しました。
フランスの多くの地域で行われているムール貝の養殖には、伝説がつきものです。1235年、難破したアイルランド人パトリック・ウォルトンが、フランス西部のエギュイヨン湾に木の杭を打ち込み、網で海鳥を捕ろうとしたところ、杭にムール貝が育っているのを見つけたという話があります。その杭はブショーと呼ばれ、ブショー貝は今もその上で育てられています。
なすとスパイスのきいたひき肉を重ねる料理は古く、13世紀のバグダッドの料理書にはよく似たレシピがすでにあります。名前はアラビア語からオスマン・トルコ語を経てギリシャ語に入りました。上にのる厚いベシャメルソースは1920年代のギリシャ流のアレンジで、ギリシャ料理をもっとヨーロッパ風にしたかった、フランスで修業したシェフ、ニコラオス・ツェレメンデスによるものです。
モッツァレラは南イタリアのカンパニア州生まれで、最初は水牛の乳で作られていました。言い伝えでは12世紀ごろ、カプアのサン・ロレンツォ修道院の修道士たちが、巡礼者にパンとモッツァという水牛のチーズをふるまったそうです。名前は「切り取る」を意味するmozzareから。ひとつずつ凝乳からちぎって作るからです。印刷物に初めて登場するのは1570年、教皇の料理人バルトロメオ・スカッピの本でした。
出典: Great Italian Chefs, Mozzarella di bufala: white gold in Campania
モヒートはキューバ生まれです。前身のドラケは、1586年にカリブ海へやって来たフランシス・ドレークにちなむと言われ、粗いサトウキビの蒸留酒に砂糖、ライム、ミントを混ぜた薬のようなものでした。1800年代にサトウキビの蒸留酒がラムに代わってモヒートになり、1931年にはハバナのスロッピー・ジョーズ・バーのメニューに載っていました。ヘミングウェイとの縁には証拠がありません。
モンスターエナジーは2002年4月18日、カリフォルニア州コロナのジュースとソーダの会社ハンセン・ナチュラルが発売しました。会社を率いていたのはロドニー・サックスとヒルトン・シュロスバーグです。それまでは天然ジュースで知られた会社でしたが、このドリンクがあまりに大きくなり、2012年には会社ごとモンスター・ビバレッジと名前を変えました。
最初にヨーグルトを作ったのが誰かはわかっていません。何千年も前、暖かい壺の中で牛乳が自然に酸っぱくなって固まったのが始まりで、場所はおそらく西アジアのどこか、いまのトルコあたりかもしれません。言葉はトルコ語のyoğurtから来ていて、「とろみをつける」という動詞と結びついています。1905年、ブルガリアのスタメン・グリゴロフが発酵を担う細菌を見つけ、その菌はいまもブルガリアにちなんだ名前で呼ばれています。
ラーメンは中国から日本にやって来ました。1880年代初め、中国の商人たちが横浜の港に住みつき、スープに小麦の麺を入れた料理を出す店を開きます。名前は引っ張って伸ばす麺を意味する中国語のラーミエンから。日本初のラーメン店、来々軒は1910年に東京の浅草で開店し、忙しい日には3,000杯を売ることもありました。インスタントラーメンが登場したのは1958年です。
ライスケーキはパフライスから生まれました。1901年、ニューヨーク植物園の植物学者アレクサンダー・アンダーソンが、熱したでんぷんがはじけて軽くふくらむのを見つけ、1904年のセントルイス万博で圧力をかけてふくらませた米を披露しました。押し固めたライスケーキが出てくるのはずっと後で、1970年代と1980年代にチコサンやクエーカーといったブランドがダイエット用のおやつにしました。
牛乳で炊いたお米は世界のあちこちで作られていて、イギリスでは14世紀にさかのぼります。最古の英語のレシピは、1390年ごろリチャード2世の料理長たちが書いた『The Forme of Cury』にあり、アーモンドミルクとサフランを使っていました。当時お米は高価な輸入品だったので、子ども向けのおやつになるずっと前は、ごちそうのデザートだったのです。
ライトビールを考え出したのは、ブルックリンのラインゴールド醸造所の生化学者ジョセフ・オウェイズです。酵素を使って、酵母がでんぷんをより多く食べられるようにしました。ラインゴールドは1967年にガブリンガーズ・ダイエットビールとして売り出しましたが、失敗に終わります。レシピはやがてミラーに渡り、1975年にミラーライトと名づけて、ダイエットではなく「お腹にたまらない」ビールとして売ったところ、うまくいきました。
出典: The New York Sun, Joseph Owades, 86, Devised Recipe for Light Beer
ラクレットはスイス・アルプスの生まれで、牛飼いたちが半分に切ったチーズを火にかざし、溶けたところを削って、おなかにたまる食事にしていました。最初の記録は1574年のヴァレー州のもので、名前は「削る」を意味するフランス語のraclerから来ています。『ハイジ』にはフォークに刺してあぶったチーズの場面がありますが、この山の食事がスイスの国民食になったのは20世紀に入ってからです。
ラザニアは最も古いパスタ料理の一つです。ローマ人はすでに生地の板を重ねていて、アピキウスがその料理を料理書に記しています。名前はおそらく、平たい生地の板を指すギリシャ語のlaganon、あるいはギリシャ語から借りた調理鍋を表すラテン語lasanumから来ています。後者なら、料理はそれを焼いた器の名前で呼ばれていることになります。
人は石器時代から野生のラズベリーを食べてきました。ラテン名のRubus idaeusは「イダ山のキイチゴ」という意味で、その実がたくさん実っていたと言われるイダ山にちなんでいます。ローマの著述家パラディウスは4世紀にラズベリーを栽培果樹として記録しており、英語の名前はおそらく甘いバラ色のワイン、raspiseから来ています。
出典: Royal Horticultural Society, Fascinating facts: raspberries
ラタトゥイユはプロヴァンスのニースを代表する料理で、夏の畑の野菜を使う田舎料理から生まれました。名前が初めて現れるのは18世紀の終わり、知られている最初のレシピは19世紀ですが、料理そのものはおそらくもっと古いものです。名前は、どちらも「かき混ぜる」「揺さぶる」ことを表す二つのフランス語の動詞、ratouillerとtatouillerから来ています。
ラドラーはドイツ語で「自転車に乗る人」のことです。よく知られた話では、1922年6月のある日、ミュンヘンの南の宿屋の主人フランツ・クサーヴァー・クーグラーのもとに何千人ものサイクリストが押し寄せてビールが足りなくなり、レモネードで割って「ラドラーマス」と名づけたそうです。いい話ですが、ラドラーマスという名前は1900年ごろの記録にすでに出てくるので、この飲み物はおそらくもっと古いものです。
出典: inFranken.de, Woher kommt das Radler und warum heißt es so?
言い伝えでは1900年8月、ハバナのバーでアメリカ陸軍の大尉がバカルディのラムをコカ・コーラとライムで割り、スペインとの戦争のあと、自由なキューバにと「ポル・クーバ・リブレ」で乾杯したそうです。これはバカルディ自身の説明で、その場にいたという同社の広告担当者による1965年の宣誓供述書が裏づけになっているため、歴史家は細部を慎重に扱っています。キューバ・リブレという名前はそのまま定着しました。
ラム肉は羊の肉で、羊は人が最初に飼った動物のひとつです。1万年以上前、今のトルコやシリアからイラク、イランへと弧を描く肥沃な三日月地帯で、人々は野生のムフロンを家畜にしました。最初は肉、乳、皮のためです。羊毛の多い羊が出てきたのはもっと後で、紀元前6000年ごろです。
ランゴシュの名前は、ハンガリー語で「炎」を意味するlángから来ています。かつてはパン生地の最後の残りで作り、パンを焼く日の朝食として、れんが窯の炎のすぐそばで焼いていました。このアイデアはおそらく16世紀にトルコ人がもたらしたものです。20世紀に家庭のパン窯が姿を消すと、人々は代わりに油で揚げるようになり、それがいま知られているランゴシュです。
リゾットは北イタリアのポー平野の生まれで、湿った低地で米がよく育ちました。書き残されたのは19世紀初めになってからで、当時はプディングの一種として説明されていて、名前はただ米を意味するrisoから来ています。神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世が「最高の米」risum optimumと呼んだという伝説がありますが、名前はふだんの話し言葉から生まれた可能性のほうが高そうです。
リンゴのふるさとはカザフスタンの天山山脈にある野生の果樹の森で、祖先のマルス・シーベルシー(Malus sieversii)は今もそこに生えています。シルクロードの商人がこの果実を東へ西へと運び、その途中で野生のクラブアップルと交ざりました。今のリンゴがほぼカザフ生まれで、ヨーロッパのクラブアップルもたっぷり入っているのはそのためです。
出典: Smithsonian Magazine, How the Silk Road Created the Modern Apple
りんごジュースの始まりはりんごで、りんごのふるさとはいまのカザフスタン南東部にある天山山脈です。そこには野生の祖先Malus sieversiiが今も生えています。シルクロードの商人たちがこれを西へ運びました。その山のふもとの都市アルマトイはかつてアルマアタと呼ばれ、よくりんごの父と訳されます。
出典: UNESCO Silk Roads Programme, The Role of the Silk Roads in the Cultivation of the Modern Apple
レーズンはワイン造りと同じくらい古く、最初のレーズンはおそらく日差しで偶然乾いたブドウでした。古代にはフェニキア人がスペインやギリシャに、アルメニア人がペルシャにブドウ畑を作り、どちらもギリシャ人やローマ人とレーズンを取引しました。ギリシャやローマでは競技の賞品として贈られたほどです。1873年のカリフォルニア初のレーズンも偶然の産物で、熱波でブドウが木についたまま乾いてしまったのがきっかけでした。
レッドブルの源は、チャリアオ・ユーウィッタヤーが1976年からタイで売っていたエナジードリンク、クラティンデーンです。トラック運転手に人気がありました。オーストリアのディートリッヒ・マテシッツは1982年の出張でこれを試し、時差ぼけに効くと感じて、二人は1984年にレッドブルを創業しました。クラティンデーンは「赤いガウル」、つまり野生の牛のこと。炭酸入りの西洋版は1987年4月1日にオーストリアで発売されました。
最古のレモンの飲み物のひとつは、中世のエジプトから来ています。1100年ごろには、カイロのユダヤ人商人たちが、カタルミザットと呼ばれる瓶詰めの甘いレモン果汁を売り、輸出もしていました。1676年のパリにはリモナディエ組合があり、売り子たちがレモネードのタンクを背負って、通りの人々にカップで注いでいました。炭酸入りのものはずっとあとに登場します。
レンズ豆は人類が最初に栽培した作物のひとつです。近東の肥沃な三日月地帯で、小麦や大麦、エンドウ豆、ひよこ豆と同じ初期の波の中で、約1万年前に栽培化されました。焦げたレンズ豆は、いまのトルコ、シリア、イスラエルにあたる地域の、もっとも古い農村の跡から見つかっています。
レンズ豆は世界でもっとも古い栽培作物のひとつで、おそらく近東で最初に栽培化されました。レンズ豆の煮込みは聖書にすでに登場し、エサウが赤い煮物1杯と引き換えに、弟ヤコブに長子の権利を売ります。そこからレンズ豆は地中海の周りに、そして北のヨーロッパへと広がり、スイスの青銅器時代の湖上集落からも見つかっています。
ローストチキンはすべて、東南アジアのセキショクヤケイにさかのぼります。2022年の研究では、はっきり家畜とわかる最初のニワトリは紀元前1650年から紀元前1250年ごろのタイ中部にいて、蓄えた米やキビに引き寄せられて村に来たと考えられています。ヨーロッパに届いた当初は、食べるよりも大切にされていたようで、骨に解体の跡が見られるのは何世紀も後になってからです。
出典: PNAS, The biocultural origins and dispersal of domestic chickens (2022)
今のところ最古のワインはジョージア、南コーカサスのものです。トビリシの南約50kmにあるガダクリリ・ゴラとシュラヴェリス・ゴラで掘り出された土器の壺から、紀元前6000年ごろ、つまり約8,000年前のブドウのワインの化学的な痕跡が見つかりました。研究を率いたのはペンシルベニア大学博物館のパトリック・マクガヴァンで、2017年に発表されています。
物語をすべて読む · 出典: Decanter, World's oldest wine comes from Georgia, new research
スペイン人が16世紀にやって来たとき、ワカモレはすでにアステカ料理の一部でした。名前は「アボカドのソース」を意味するナワトル語のahuacamolliから来ています。メキシコの人々は約9,000年前からアボカドを食べていて、英語で最初のレシピを書き残したのは、1697年の私掠船乗りウィリアム・ダンピアです。
バーガーキングの共同創業者ジェームズ・マクラモアが1957年にマイアミでワッパーを生み出し、37セントで売り出しました。フロリダ州ゲインズビルのライバル店が大きめのバーガーで成功しているのを見て思いついたそうです。名前は、大きなものを連想させるという理由で選びました。
ワッフルのもとは、熱した2枚の金属板で薄く焼くウエハースで、この焼き方は古代ギリシャまでさかのぼります。中世ヨーロッパでは焼き型に十字架や聖書の場面がよく刻まれ、農民も王様も食べていました。15世紀ごろ、オランダの職人が四角い型に切り替えます。英語のwaffleはオランダ語のwafelから来ています。
出典: Smithsonian Magazine, These Beautiful Medieval Wafer Presses Are Where Waffles Come From
飼われているアヒルのほとんどは野生のマガモの子孫で、中国、エジプト、ヨーロッパの人々は何千年も前からすでに飼っていました。ノバリケンは別の種で、コロンブス以前の中米と南米で家畜化されました。1873年、北京ダックの雄1羽と雌3羽が中国からニューヨークのロングアイランドへ運ばれ、アメリカのアヒル産業が始まりました。
甘辛い赤いタレのチキンは1980年に大邱で生まれました。小さなチキン店を営んでいたユン・ジョンゲが、最初はキムチの味付けを試し、やがてコーンシロップと唐辛子粉で、衣にからむつやのあるソースができることを見つけました。これがヤンニョムチキンです。添え物の大根の酢漬けも彼が考えました。1985年にはチェーン店メキシカーナを立ち上げ、約1,700店まで広がりました。
出典: Korea JoongAng Daily, Yoon Jong-gye, father of the Korean-style seasoned chicken, dies aged 74
何世紀ものあいだ、肉屋は包丁で肉を細かく刻んでひき肉にしていました。小さな穴がたくさん開いたプレートに肉を押し出す、手回し式の最初の肉ひき機は、1840年代のドイツの発明家カール・ドライスの作とされています。ドライスは別のことで有名です。1817年、自転車の先駆けとなる走行機械に乗って、マンハイムから走り出した人物なのです。
人が動物の乳を利用し始めたのは、牛や羊、ヤギを飼うようになってすぐのことでした。2,200個以上の古代の土器に残る乳脂肪の跡から、紀元前7千年紀、約8,500年前にはアナトリア、レバント、南東ヨーロッパですでに乳が加工されていたことがわかっています。これで酪農の始まりは、それまで考えられていたより約2,000年さかのぼりました。
出典: University of Bristol, A potted history of milk (study in Nature, 2008)
ニワトリの祖先は東南アジアのセキショクヤケイです。2022年の研究で、本当の意味で家畜化されたニワトリの最古の骨が、タイ中部のバンノンワットで見つかりました。年代は紀元前1650年から1250年ごろで、多くの人が考えていたより新しいものでした。研究者たちは、米やアワの畑が野生の鳥を人のそばに引き寄せ、そのまま人と暮らすようになったと考えています。
出典: PNAS, The biocultural origins and dispersal of domestic chickens (Peters et al., 2022)
鶏もも肉をたどると、約3,500年前に東南アジアの稲やキビの畑のそばで暮らし始めたセキショクヤケイに行き着きます。最古の遺物はタイ中部のバンノンワットで見つかりました。2022年の研究によると、最初の鶏はおそらく食べられていませんでした。特別な存在だったかのように、人と一緒に埋葬されたものもあったのです。地中海のヨーロッパに届いたのは約2,800年前でした。
出典: Smithsonian Magazine, Researchers Pinpoint Date When Chickens Were First Domesticated
言い伝えでは中国で紀元前2700年ごろからお茶が飲まれていたとされますが、確かめることはできません。お茶の植え方、加工の仕方、飲み方を記した最初の出版物は紀元350年ごろのものです。オランダの商人が1610年にお茶をヨーロッパに持ち込み、1669年にはイギリスの市場に届き、1836年にはイギリスがインドで栽培を始めました。
サトウキビが最初に栽培されたのは東インド諸島、おそらくニューギニアで、そこからアジアを通ってインドへ広がりました。sugarという言葉は、もともと砂粒や砂利を意味したサンスクリット語のシャルカラから、ペルシャ語のシャカル、アラビア語のスッカルを経てヨーロッパの言葉に入りました。テンサイの砂糖はずっとあと、ナポレオン戦争中に国内で砂糖を確保したかったフランスのために、ヨーロッパで開発されたものです。
刺身という言葉が現れるのは室町時代(1336年から1573年)で、貴族や武士が、醤油が主流になる前に、薄く切った生魚を塩や酢で食べていました。「刺した身」という意味ですが、なぜそう呼ぶのかははっきりしていません。どの魚かわかるように切り身に尾やひれを刺したからという説もあれば、「切る」という言葉が武士の世界の外で使うには縁起が悪すぎたからという説もあります。
大豆が最初に栽培されたのは何千年も前の中国で、若い緑のうちに食べる習慣は中国にも日本にも古くからあります。枝豆という言葉の最古の使用例として知られているのは1275年、僧の日蓮が、寺に枝豆を届けた信徒に書いたお礼の手紙です。枝についたまま売られることが多かったので、枝豆と呼ばれました。
出典: SoyInfo Center, Chronology of Green Vegetable Soybeans and Edamame
七面鳥はアメリカ大陸の鳥です。スミソニアンによると、人が七面鳥を飼って繁殖させていた最初の証拠は、約2,000年前のメキシコのテワカンのものです。英語の名前turkeyは、おそらく取り違えです。ヨーロッパの人々は、トルコの交易を通じて来たアフリカのホロホロチョウをすでにturkey cockと呼んでいて、アメリカの鳥にも同じ名前がついたのです。
バッファローウイングは1964年、ニューヨーク州バッファローのアンカーバーで初めて出されました。作ったのは夫フランクと店を切り盛りしていたテレサ・ベリッシモです。手羽を2つに切り、衣をつけずに揚げてホットソースをからめ、セロリとブルーチーズを添えました。家族の話は2通りあり、手羽の誤配送だったとも、息子の友だちへの夜食だったとも言われます。地元の料理人ジョン・ヤングも、自分が最初だと主張していました。
出典: Smithsonian Magazine, A Brief History of the Buffalo Chicken Wing
寿司は料理としてではなく、魚を保存する方法として始まりました。魚を塩とご飯に漬けて発酵させるなれずしは、東南アジアの川沿いの土地で生まれ、稲作とともに日本に伝わります。江戸時代になると、何か月も待つ代わりに酢を使うようになりました。そして1824年ごろ、江戸、いまの東京で、華屋与兵衛が手早く食べられる屋台の料理として握り寿司を考え出したと言われています。
春巻きのもとは、中国の人々が春の始まりに食べた薄い春餅です。新鮮な野菜を包んで季節を迎え、豊作を願いました。やがて春餅は巻いて揚げられるようになり、清の時代には宮廷の宴で出される点心のひとつになっていました。中国語のチュンジュエンは、そのまま春の巻き物という意味です。
照り焼きは江戸時代(1603年から1868年)に生まれた日本の焼き方で、醤油が広く手に入るようになり、甘いみりんと合わせてたれにしたのが始まりです。名前がそのまま作り方を表していて、「照り」はつや、「焼き」は焼くことです。最初はおもに魚に使われていました。ハワイに渡った日本人労働者が鶏肉で甘めの味を作り、世界に知られるようになったのはそちらでした。
出典: HistoryLink.org, A Taste of History: Teriyaki in Seattle
これまでに見つかった最古のパンは、約14,400年前にヨルダン北東部の黒い砂漠にあるシュバイカ1遺跡で焼かれた平たいパンです。狩猟採集民が野生の大麦、ヒトツブコムギ、オーツ麦をひいてふるい、こねていました。誰かが穀物を栽培するより約4,000年も前のことです。研究者たちは、パン作りの手間が人々を穀物の栽培へと向かわせたのかもしれないと考えています。
出典: University of Copenhagen, Archaeologists discover bread that predates agriculture by 4,000 years
モモは中国で最初に栽培化されました。浙江省の遺跡から出土したモモの種から、長江下流域の人々が少なくとも7,500年前には大きな実を選んで育てていたことがわかっています。ヨーロッパへはペルシャ経由で伝わったので、ローマ人はmalum persicum、「ペルシャのリンゴ」と呼び、それがフランス語のpêche、英語のpeachになりました。
出典: PLoS ONE, Archaeological Evidence for Peach Cultivation and Domestication in China (2014)
豆乳は中国の生まれです。ソイインフォ・センターの食の歴史家ウィリアム・シャートレフと青柳昭子は、はっきりした最初の記録を1365年ごろまでたどりました。当時は豆腐を作る途中にできる液体で、豆腐漿と呼ばれていました。ふだんの飲み物になったのはおそらく何世紀も後で、ヨーロッパとアメリカには1900年代初めに届きました。
出典: Today's Dietitian, Soymilk's Reign (citing William Shurtleff and Akiko Aoyagi, Soyinfo Center)
豆腐は中国生まれで、漢の時代、紀元前206年から紀元220年のあいだに始まったと考えられています。言い伝えでは、錬金術師が大勢いた宮廷を持つ淮南王の劉安が、初めて豆乳を固めて豆腐にしたそうです。ただ歴史家はこの話を疑っていて、豆腐についてのはっきりした最古の記録は何世紀もあとのもの。最初に作ったのが誰なのかは、本当のところわかっていません。
粉末のお茶が日本に伝わったのは1100年代後半、中国で学んでお茶の種を持ち帰った禅僧の栄西によってでした。それが日本の茶道の中心になります。名前は「する」を意味する抹と茶を合わせたもので、葉を細かい粉にひくからです。温めた牛乳に点てて混ぜるのは、ずっとあとのカフェの発想です。
目玉焼きの始まりはニワトリで、おそらく約3,500年前に東南アジアで家畜化されました。はっきり飼われていたとわかる最古の骨はタイのバンノンワット遺跡のもので、紀元前1650年から紀元前1250年ごろのものです。研究者は、米やキビの畑が野生のヤケイを人の近くに引き寄せ、ニワトリはふだんの食べ物になる前は特別な鳥だったと考えています。
出典: PNAS, The biocultural origins and dispersal of domestic chickens (2022)
一般的な洋ナシはおそらくヨーロッパ原産で、古代から育てられてきました。2,500年以上前のホメロスの『オデュッセイア』にも、アルキノオス王の果樹園の洋ナシの木が描かれています。ヨーロッパの人々はアメリカ大陸に植民地を作るとすぐに洋ナシを持ち込み、スペインの宣教師たちはメキシコやカリフォルニアに植えました。
私たちが食べる卵の多くは鶏の卵で、ニワトリの祖先は東南アジアのセキショクヤケイです。2022年の研究では、家畜化はおよそ3,500年前。陸稲やキビの畑に誘われて、野生の鳥が木から下りて農民の近くに来るようになったと考えられています。知られている最古のニワトリの骨は、タイ中部のバンノンワット遺跡で見つかりました。
出典: PNAS, The biocultural origins and dispersal of domestic chickens (Peters et al., 2022)
卵白は人が鶏を飼い始めたころから食べられてきたので、誰かが発明したものではありません。正式な名前albumenはラテン語で「白」を意味するalbusから来ていて、1590年代に英語に入ったときは、ただ卵の白身を指していました。1800年ごろには、白身にほぼ純粋な形で含まれるタンパク質も意味するようになり、のちにalbuminと書かれるようになりました。
餃子は中国で古くから食べられてきました。考古学者が山東省の墓から約2,500年前の小さな三角形の餃子のような食べ物を見つけていて、トルファンのアスターナ古墳で見つかった唐の時代の餃子約20個は、いまのものとよく似ています。言い伝えでは漢の時代の医師張仲景が、しもやけを治すために耳の形に包んだとされますが、これは民間伝承です。
出典: China Confucius Foundation, China's history of dumplings