エッグベネディクトを考えたのは誰?
エッグベネディクトは1800年代後半のニューヨーク生まれで、二つの説があります。ひとつはデルモニコスと常連のルグラン・ベネディクト夫人、もうひとつは1894年にウォルドーフに来た株式仲買人レミュエル・ベネディクトです。
エッグベネディクト2個のせ(ブランチの定番の1皿)700kcal
1800年代の終わりのニューヨーク
エッグベネディクトは、イングリッシュマフィンにハムかカナディアンベーコン、ポーチドエッグをのせ、上からオランデーズソースをかけた料理です。オランデーズは、卵黄、バター、レモン汁か酢で作るソースです。1800年代の終わりにニューヨークで生まれたことは、誰もが認めています。どこで、誰のために生まれたのか、そこから言い争いが始まります。元祖を名乗る有名なレストランが二つあり、どちらの話にもベネディクトという名前の客が出てきます。
デルモニコスの話
デルモニコスは1837年に開店し、アメリカで最初の高級レストランとよく呼ばれます。シェフのシャルル・ランホファーは、1894年に『The Epicurean』という分厚い料理本を出しました。その中にエッグ・ア・ラ・ベネディックのレシピがあり、常連のルグラン・ベネディクト夫人の考案とされています。彼女が厨房に、何か新しいものを作ってと頼んだという話です。ブリタニカによると、客はベネディクト氏だったとする話や、1860年代のこととする話もあります。
ウォルドーフの二日酔い
もうひとつの話が活字になったのは、ずっとあとの1942年12月、雑誌ザ・ニューヨーカーでのことです。ウォール街を引退した株式仲買人レミュエル・ベネディクトが、1894年に二日酔いでウォルドーフ・ホテルに入ったと語りました。彼が頼んだのは、バタートースト、カリカリのベーコン、ポーチドエッグ2個、そしてオランデーズソースをたっぷり。給仕長のオスカー・チルキーはこれを気に入り、ハムとイングリッシュマフィンに替えてメニューに載せました。いい話ですが、主な証拠はその1942年のインタビューです。
結局どちらが先か
確かなことは誰にも言えません。記録はわずかにデルモニコスに有利です。ランホファーが1894年にレシピを印刷していて、レミュエルが話したのはその50年近くあとだからです。1894年1月には、ニューヨークの新聞がランチのメニューにあるエッグ・ア・ラ・ベネディクトにもふれています。けれど本に載ったレシピは、誰が最初に注文したかの証明にはなりませんし、二日酔いの朝の記憶は確かめようがありません。どちらの話も今も語られていて、どちらのレストランも伝説の一部です。
どこでもブランチ
誰が始めたにしても、エッグベネディクトはニューヨークをはるかに越えて、ブランチの定番メニューになりました。基本は変わりません。トーストしたイングリッシュマフィン、ハムかカナディアンベーコン、ポーチドエッグ、オランデーズソース。ふつうの一皿は2つ分、つまり卵2個とマフィンの半分が2枚です。卵の下に何をのせても、マフィンと卵とソースはいつも同じです。