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ナチョスを考えたのは誰?

ナチョというあだ名のイグナシオ・アナヤが、1943年にメキシコのピエドラス・ネグラスにあるビクトリー・クラブで最初の一皿を作りました。アメリカ人の客のためにありあわせで作り、ナチョズ・スペシャルと名づけました。

ナチョスチーズ、サルサ、サワークリームのナチョス1皿570kcal
白いお皿のナチョス

国境の町

ピエドラス・ネグラスはメキシコのコアウイラ州にあり、リオ・グランデ川をはさんでテキサス州イーグルパスのすぐ向かいです。第二次世界大戦中、イーグルパスの近くにはアメリカ軍の基地があり、将校の妻たちは買い物や食事のために川を渡ってきました。彼女たちが通った店のひとつが、クラブ・ビクトリアとも呼ばれたビクトリー・クラブです。そこの給仕長が、1895年にコアウイラで生まれたイグナシオ・アナヤでした。イグナシオという名前の多くの男性と同じく、彼もナチョと呼ばれていました。

1943年のある日

1943年、常連のメイミー・フィナンを中心にした妻たちのグループが、何か食べたいと店にやって来ました。細かいところは話によって少しずつ違います。料理人が見つからなかったという話もあれば、ほかの店が閉まっていたという話もあります。いずれにしても、アナヤは自分で厨房に入りました。揚げたコーントルティーヤを三角に切り、削ったチーズとハラペーニョのピクルスの薄切りをのせて温めたのです。名前を聞かれた彼は、自分の名前をとってナチョズ・スペシャルと答えました。

資料が一致していること

有名な料理の多くと違って、ナチョスには名前のわかる考案者と場所と年があり、資料はこの三つについてほぼ一致しています。違うのは細かい部分です。TIMEはチーズがチェダーだったと書き、ウィキペディアはコルビーだとしています。ウィキペディアとエル・ウニベルサル紙によると、ナチョスが英語の料理本に初めて載ったのは1949年の『A Taste of Texas』で、アナヤ自身のレシピは1954年にイーグルパスの『St. Anne's Cookbook』に載りました。80年前に急いで作られたおつまみなら、このくらいのずれは当たり前です。

ひとつの町から全米のスタジアムへ

このおつまみはビクトリー・クラブのメニューに載り、すぐに町じゅうでまねされました。1959年には、ウェイトレスのカルメン・ロチャがナチョスをロサンゼルスに持ち込みます。大きく飛躍したのは1976年、リコス・プロダクツのフランク・リベルトが、テキサス・レンジャーズの試合でチーズソースをかけたものを売り出したときです。そして1978年9月4日、スポーツキャスターのハワード・コセルが『マンデーナイト・フットボール』の中継でナチョスの話を何度もしたことで、もっと遠くまで広まりました。スタジアムのナチョスは、こうして定番になりました。

ナチョが残したもの

アナヤは自分のアイデアを独り占めしようとはしませんでした。エル・ウニベルサル紙は、お客さんに喜んでもらい、おなかいっぱいになってもらうために作ったという彼の言葉を伝えています。1960年には自分のレストラン、エル・ナチョを開きました。亡くなったのは1975年です。今ピエドラス・ネグラスには彼をたたえるブロンズのプレートがあり、10月21日は国際ナチョスの日になっています。今の一般的な一皿は、山盛りのトルティーヤチップスに溶けたチーズとハラペーニョに、豆やサルサ、サワークリームがのることも多く、ナチョがのせた量よりずっと多めです。

出典

TIME, the history of nachosEl Universal, Ignacio Anaya García, the man behind nachosWikipedia, Nachos

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