チキンティッカマサラを考えたのは誰?
多くの説では、グラスゴーのシーシュ・マハルのアリ・アハメド・アスラムが1970年代に作ったとされています。イギリスのほかのシェフたちも元祖を名乗っているので、誰が最初かは証明できません。
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グラスゴーのパサパサの一皿
いちばん有名な話は、グラスゴーのウエストエンドから始まります。アリ・アハメド・アスラムは1945年にパキスタンで生まれ、1950年代の終わりに子どもとしてこの町にやって来ました。1964年、そこにシーシュ・マハルというレストランを開きます。話によると1970年代のある日、ある客がチキンティッカをパサパサすぎると言って突き返しました。グレイビーが欲しかったのです。アスラムはトマトとクリームとスパイスでまろやかなソースを作って鶏肉にかけ、新しい料理がメニューに加わりました。
スープの缶
この話には、多くの場合ひとつの有名な細部がついてきます。最初のソースを作るのに、アスラムが濃縮トマトスープの缶を開けたというのです。絵になる話で、何度も活字になりました。ところがレストラン経営者のイクバル・ワハブは、のちに、自分と料理史家のピーター・グローブが記者を楽しませるためにスープの部分を作ったと明かしています。彼の言葉では、まったくの作り話でした。つまり客とパサパサの鶏肉は本当かもしれませんが、スープはたぶん違います。
自分の料理だと言う人たち
この話はグラスゴーだけのものではありません。ピーター・グローブは、同じグラスゴーのタージ・マハルというレストランのスルタン・アハメド・アンサリを挙げました。彼は、シーシュ・マハルが開く前の1950年代にこの料理を作ったと言っていました。1960年代にイギリスのカレー店で働いていたバングラデシュ出身のシェフたちの手柄だとする書き手もいます。ブリタニカはもうひとつ、北インドのバターチキンから生まれたという説も紹介しています。2009年には、グラスゴー選出の議員モハマド・サルワルがこの料理の保護指定を求めましたが、認められませんでした。
イギリスの国民食
2001年、ロビン・クック外相は現代のイギリスについて演説し、例としてこのカレーを選びました。彼はこれを本物のイギリスの国民食と呼びました。言いたかったのは、イギリスはよその国の料理を取り入れて自分たちのものにする、ということです。彼はソースのことまで説明しています。チキンティッカはインドのもので、マサラソースが加わったのは、イギリス人が肉にグレイビーをかけるのが好きだからだ、と。2010年には、イギリスのカレー店でいちばん人気の料理になっていて、スーパーでは調理済みの食事として売られています。
今のチキンティッカマサラ
アスラムは2022年12月に77歳で亡くなり、シーシュ・マハルは彼をしのんで2日間店を閉めました。彼の名前と結びついた料理は、今ではグラスゴーからはるか遠くで作られています。ふつうの一皿は、ヨーグルトとスパイスに漬けて熱いかまどで焼いた鶏肉を、トマトとクリームのオレンジ色のソースに入れたものです。たいていごはんかナン、あるいは両方がつき、量の大部分はそちらにあります。