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シーザーサラダを考えたのは誰?

ふつうは、1924年にメキシコのティフアナでレストランを営んでいたイタリア移民、シーザー・カルディーニの考案とされます。弟のアレックスや店のシェフが先に作ったという人もいます。

シーザーサラダチキンシーザーサラダ(メインの量)520kcal
白いお皿のシーザーサラダ

別人のシーザー

まずローマのことは忘れてください。このサラダはジュリアス・シーザーとは関係ありません。名前の主はシーザー・カルディーニで、1896年にイタリアのマッジョーレ湖の近くでチェーザレとして生まれました。1910年代に北米へ渡り、サンディエゴの店を含め、カリフォルニアでレストランを営みます。ところが1920年、アメリカで禁酒法が始まり、お酒を売ることが違法になりました。カルディーニは、飲食業の多くの人と同じ道を選びます。国境を越えて南へ、お酒を出しても合法だったメキシコのティフアナへ移ったのです。

禁酒法時代のティフアナ

当時のティフアナは大にぎわいでした。アメリカ人が飲んだり賭けたりするために国境を越えてきて、クリスチャン・サイエンス・モニター紙によると、カルディーニのレストランがあったホテル・シーザーには長さ550フィートのバーがあり、アル・カポネやクラーク・ゲーブルも訪れたそうです。カリフォルニアの人たちは週末になると南へやって来ました。この客層が大事でした。モニター紙によれば、サラダが伝説になったのはハリウッドだったからです。店の名前をシーザーズ・プレイスとする話もあれば、ホテル・シーザーと結びつける話もあります。どちらにしても、店は繁盛していました。

忙しい7月4日

ブリタニカも紹介している定番の話では、1924年の忙しい祝日の週末、カルディーニの店でいつもの材料が足りなくなりました。のちの話ではそれが7月4日だったとされます。彼は残っていたロメインレタス、パルメザン、レモン、パンの角切り、オリーブオイル、卵、ウスターソースでサラダを作り、客の目の前のテーブルで和えました。このテーブルでのパフォーマンスが、人の記憶に残った大きな理由です。ブリタニカによると、1940年代には世界中の高級レストランの定番になっていました。

本当に作ったのは誰か

シーザーだったと全員が認めているわけではありません。彼の店で働いていた若いイタリア人シェフ、リヴィオ・サンティーニの手柄だとする人もいます。弟のアレックス・カルディーニがライムとアンチョビペーストを使ったものを作り、サンディエゴの基地の飛行士たちに出して、アビエーターズ・サラダと呼んでいたという人もいます。2002年には、ティフアナの店のマネージャーがモニター紙に、考えたのはアレックスだと語り、そのうえ本当の考案者は厨房で働いていたカルディーニのおばだとまで言いました。話はかみ合わず、今となっては誰にも決められません。

ティフアナから世界中のメニューへ

カルディーニは1935年にロサンゼルスへ移り、自分のドレッシングを商標登録しました。1986年には娘のローザが、父のオリジナルだというレシピを発表しています。1960年代から1970年代には、レストランが再びテーブルで作るようになり、サラダは二度目のブームを迎えました。FOX 7によると、今ではアメリカのレストランのおよそ3分の1がこのサラダを出しています。一般的なシーザーサラダは、大きなボウルのロメインレタスにドレッシング、クルトン、パルメザンで、アンチョビが加わることも多く、やっぱりローマとは関係ありません。

出典

Encyclopaedia Britannica, Caesar saladThe Christian Science Monitor, Julius had nothing to do with this saladFOX 7 Austin, Caesar salad origins: Iconic dish, invented in Mexico, turns 100

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