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プレッツェルを考えたのは誰?

最初にねじったのが誰かはわかっていません。プレッツェルの絵は11世紀と12世紀にさかのぼり、そのころにはもう、この結び目は南ドイツのパン屋のしるしでした。

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白いお皿のプレッツェル

修道士と祈りの腕

いちばん有名な話では、610年ごろ、イタリアの修道士が最初のプレッツェルを作りました。残った生地をひも状にして交差させ、祈りのために組んだ腕のような形にし、小さなごほうび、プレティオラとして子どもたちに配ったというのです。南フランスの修道院の話だとする版もあります。どちらも記録の裏づけがない話です。ただ名前は本当に腕を指しているのかもしれません。ドイツの資料はラテン語で腕を意味するbrachiumにたどっていて、スミソニアンは腕のある、という意味のbrachiatusを挙げています。

いちばん古い絵

確かな証拠は古い本の中にあります。ドイツ語の百科事典は、ザルツブルクのザンクト・ペーター修道院の二冊の典礼書を挙げています。1050年ごろのものと、1070年から1090年のあいだのもので、今はニューヨークのモルガン・ライブラリーにあります。アルザスで作られた写本『ホルトゥス・デリキアルム』には、王妃エステルとアハシュエロス王の宴にプレッツェルが描かれています。この写本の年は資料によって1160年ごろとも1185年ごろともされますが、12世紀だという点はどれも同じです。

パン屋の看板

プレッツェルは少なくとも12世紀から、南ドイツのパン職人とそのギルドの紋章でした。シュパイアー大聖堂にあった1111年のものとされるプレッツェルつきのパン屋の看板は、1756年に描かれた絵でしか知られていません。この結び目は、教会の暦の中にも居場所がありました。小麦粉と水だけで作るので、卵やラード、乳製品が食べられない四旬節にも食べられたのです。ブリューゲルは1559年の絵『謝肉祭と四旬節の喧嘩』に、プレッツェルまで描いています。

ミュンヘンのラウゲン液の取り違え

つやのある茶色のラウゲンブレッツェルの皮は、ラウゲン液にさっとくぐらせることでできます。スミソニアンによると、ドイツのプレッツェルにつやと風味を与えるのはこのアルカリ液です。人気の話では、1839年、ミュンヘンのパン職人アントン・ネポムク・プファンネンブレンナーが、砂糖水と間違えてラウゲン液を手に取ったといいます。ドイツ語の百科事典はこれを伝説としています。彼の雇い主とされる人物は確認できず、名前の出てくる会社は1873年にようやく創業したからです。シュヴァーベンのプレッツェルはおなかが太くて腕が細く、バイエルンのものはもっと均一です。

海を越えてオクトーバーフェストへ

南ドイツから来たドイツ語を話す入植者、ペンシルベニア・ダッチが、18世紀の終わりにプレッツェルをアメリカへ持ちこみました。1861年、ジュリアス・スタージスがペンシルベニア州リティッツに、そこで最初の硬いプレッツェルの商業ベーカリーを開きます。ミュンヘンでは今も、オクトーバーフェストのパン売りの女性たちが、ビールの横で書類かばんほどの大きさのプレッツェルを売っています。今のドイツのパン屋では、大きなラウゲンブレッツェル1個にバターを塗ったものがふつうの軽食で、見た目は昔のパン屋の扉の上にあった結び目とほとんど変わりません。

出典

Smithsonian Magazine, Pretzels for OktoberfestWikipedia, PretzelWikipedia (German), Brezel

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